20050319,136,1,まいごのひつじ,1,,ひと雨ごとに、春は近づいている。
しかしこの移り気な天候は、自律神経にも同じように作用する。
人間が大地の一部であることを、やはり感じずにはいられない。

つまり昨日は調子が悪かった。
一日中、グレーな気分でいたために、愛犬オレオの散歩に行くことが出来なかった。
出来ないどころか、庭においたまま日が落ちても、家に入れることを忘れていた。

「散歩は行けなかったけれど、家に入れなきゃ。」と思い、坂にいるオレオを呼んで、鎖を外し、首輪をもって勝手口に向かった。

勝手口のドアを開けると・・・・なんとそこにオレオの姉である愛猫のネルが外に出ようと待ちかまえていた!!。ネルとオレオの上下関係は厳しい。しかもネルはちょっと意地悪である。機嫌の悪いときなど、意味もなくオレオに猫パンチを喰らわす(-_-;)。

オレオは何か殺気を感じたのだろうか?
えらい力でボクを振り切り、一目散に海の方へ駆けだした。
「オレオ!!」

叫んだのも空しく、オレオは暗闇の中どこかへ行ってしまった。
「また、逃亡した...。」

オレオの逃亡は初めてではない。約30分おきに「オレオ〜!! オレオ〜!!」と叫ぶが、帰ってこない。気配するように思うのだが、姿は見えない。結局、夜中まで叫び続ける。

朝になって、再び叫ぶためにデッキに出ると、なんと、オレオが坂のいつもの定位置で丸くなっている。「オレオ、おいで。」そういっても降りてこない。怒られると思っているのだ。もしかしたら昨日も闇の中、同じ場所に居たのだろうか?

仕方がないので、坂のすぐ下まで行って呼ぶと、ようやくばつが悪そうにゆっくりと降りてくる。

オレオを家に入れてから、ルカ15章の放蕩息子の話を思い出した。
父親は死んだかもしれない家出した息子を毎日毎日家の門で待っていた。だから息子が父親からせしめた財産を使い果たし、回心をして父の使用人になろうと家に帰ってきたとき「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」のだ。

しかしこの家出をした息子は、回心はしたものの父が遠くから駆け寄ってくれなかったならば、果たして父の元に行くことは出来たであろうか?もしかしたらオレオのように玄関の近くまで来ていても、なかなかそのドアをノックすることは出来なかったのではないだろうか?

ちなみにこの放蕩息子のある15章の冒頭に、有名な「迷子の羊」のたとえが書かれている。そしてこの15章のテーマは「失われたものの救出とその喜び」である。

ボクのベッドで枕に頭を乗せて、疲れ果てたオレオは安心して眠っている。
ボクの頭の中には、こどもさんびかの名曲「ちいさいひつじ」が流れて止まらない。

1)小さい羊が家をはなれ ある日遠くへ遊びに行き
  花咲く野原の面白さに 帰る道さえ忘れました

4)とうとう優しい羊飼いは 迷子の羊を見つけました
  抱かれて帰るこの羊は 喜ばしさに踊りました
       (Copyrights 日本キリスト教団教育委員会/日本キリスト教団出版局)

今日は怒らないでおこう...。 20050314,135,0,So what?,0,, So what? という英語の表現は、「だから、どうだというの?」というほどの意味です。つい、So what? と言いたくなることがあります。

 例のニッポン放送をめぐる、ライブドアとフジの攻防です。特にNHKでは、しばしばトップニュースで報じられています。しかも必ずといっていいほど、「識者」の解説がなされています。この買収問題が「どうでもよいことだ」と言うつもりはありませんが、しかしトップニュースで連日報道するほどの大事件なのでしょうか。他にも報じなければならないことは、たくさんあるのではないでしょうか。当然のことながら、この出来事が報じられるために削られていくニュースがたくさんあるわけです。
 報道というのは、一見客観的であるかのような印象を与えるのですが、何を報じるか、どのように報じるかは、伝える側の意志によって決められます。また、特に他意はなくとも、結果として映し出される映像(あるいは語られることば)しか知らない受け手にとってはそれがすべてになってしまいます。メディアに対して、わたしたちは良い意味で「批判的」であらねばなりません。それは必ずしも否定的であれということではありません。与えられる情報を無批判に受け止めるのではなく、何が真実か、あるいは全体像はどうなっているのかをよく考えるということです。
 このことは宗教にもあてはまります。一部の人間にとって都合の良いことだけを恣意的に神の名を使って語る、ということはしばしば起こります。何もカルト宗教だけの問題ではありません。キリスト教も例外ではありません。
 「批判的」であるということを、信仰のことばで言い換えると、「神を畏れる」ということかもしれません。「主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることは分別の初め」(箴言9:10)とあるように、神を畏れることによって、自分自身をも含めた人間の不完全さ、愚かさ、罪深さに気づかされていくのだと思います。しかし、それは同時に自由をも与えてくれます。「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)ということばは、神のみを畏れることによって、他のものに対する恐れから守られることを意味します。神を畏れ祈りつつ、真実を見失わないように、優先順位を間違えないように歩みたいと思います。神様から、So what? とお叱りを受けないように・・・。 20050303,134,1,堤一族と家制度と近代の終焉。,1,,西武グループ前会長の堤義明氏がインサイダー(内部情報)取引などの疑いで取り調べを受けている。この株式に纏わる事件ですでに二人の幹部が自殺に追い込まれている。

堤氏は西武グループの会長であったにも関わらず、社員や取引先、消費者の利益を優先せず、堤家の利益を優先させた。西武グループが株式を公開し、公から資金調達をしている以上、この堤氏の行動は明らかに会社に対しても社会に対しても背信行為だ。

日本人は家を守ることを美徳とする。そしてこれは何世代もの間、守られてきたものと信じている。たぶん堤氏もそう信じていた。

しかし日本社会の家制度は、社会学的な見方をすれば、高々100年程度のものだ。明治以前は武士とお公家と一部の商人を除けば、守る家など存在しなかった。農民は殆どの者が名字すらもっていなかったし、いまボクの住んでいる地域には、当時戸籍を扱っていたはずの寺すら存在しない。昭和30年代まで寺も墓地も存在せず、風葬をしていた。

「家」というのは日本人の多くの人にとって実は近代になって意図的に作られたもので、富国強兵へ向かわせる手段であった。徴兵も納税も家が近代日本の基軸であった。天皇すら近代天皇制といわれる富国強兵政策一環とも言える。

横浜に住んでいる頃、核家族の自分はこうした「家」制度とはまったく無縁の者だと思っていた。しかし田舎に住んで明らかになったことだが、日本の政治も組織も、そしてまた教会も、日本社会であるが故に、色濃く家社会であり村社会であることがよくわかる。

近代の「家」制度がその家に所属する個人を、またその「家」制度に関わる周囲の者を幸福にするのならば、ボクはそれを否定はしない。しかしもし「家」制度がボクらを、あるいはボクらの後の世代を幸福にしないのならば、少し立ち止まって考えなければならない。

家や組織は本来個人を豊かにするために存在する。日本の憲法に定められているように、国に人が従属するのではなく、人が国を構成し、人が組織や家を豊かにする。この大前提を倒錯してはならない。

もし家制度が日本人に不可欠だとしても、それならばその家に所属する人を豊かにする「家」をボクらは考えていこうと思う。日本に住む人を豊かにする「家」を建てよう。

主イエスは「安息日は人のためにある」と言い、また主イエスを救い主と告白したペテロに「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」と言った。

ドメスティック(組織内)的な視点ではなく、天に自分たちの視点を持つときに、「家」や「組織」というものも、はじめて健やかに機能していくのではないかと思う。

その意味において、未だキリスト教会が日本の社会に対して果たすべき責任があるのではないだろうか。 20050127,133,1,震災から10年〜その3/終章。,1,,オーストリアの精神科医でアウシュヴィッツを生き延び「夜と霧」という本を著したV.E.フランクルは、人間のいのちについて「しばしば苦難の中で『人生とは何か』と我々は問うが、これは誤りである。そうではなく人生が我々に『あなたの人生をどのように生きるのか』と問うているのである」という意味のことばを何度も繰り返した。

ボクは数年前まではこのユダヤ的でフロイトとも親交のあったフランクルの態度を、正直東洋人には「厳しすぎる」と感じていた。ちょうどキリスト教神学でトゥルナイゼンの「牧会学」や彼の葬儀説教集である「御手に頼りて」の一部に「厳しさ」を感じたように。

震災の最中にもやはり途方に暮れている人々の姿を見た。なぜ、神戸でなくてはならなかったのか、なぜ神戸でもある人は助かり、ある人は助からなかったのか。なぜ、ある人には復興していく状況が与えられ、またある人々にはあまりにも過酷な状況の下にさらに復興を歩んでいかなければならないのか...。

これには答えがない。
ボクは教会の働きの中で重荷を負っている方とのっぴきならない状況の中、同じような問いを受ける。しかし牧師にだって判らないのだ。ボクはこう応えることにしている「それはボクにも判らない。けれどその出来事を通して神さまは何かを伝えようとしているのではないか? それを一緒に探していきましょう。」と。そして「天国に行けたならまずボクは真っ先に神さまにこの『なぜ?』を聞きに行こうと思っています。」と。

この世のボクらにはたぶん答えはない。

ハーバード大学の牧会学教授の椅子を捨ててラルシュという障害者と健常者が共に生きる家で晩年を過ごしたヘンリー・ナーウェンは牧師・司祭のこと「傷ついた癒し人」と呼んだ。牧師は苦しみを取りのけることなどできないが、神が降り立つのを待ち望み、一緒に苦しみを歩むことは不十分ではあるが出来うる。そしてその度に傷を身に纏っていく。

先のフランクルの言葉を「苦しみの中にある本人だけに向けられたことばなのだろうか?」とこの頃思う。もちろん苦しみは個人の実存に関わる問題だが、一方でその傍らに同時代に生きているコミュニティーにも問われている言葉ではないかと最近考える。

苦しみに理由がないように、苦しみがないことにも理由はない。そして理由のない者同士が実は神から問われている。

それはあたかも主イエスが常に意識をした罪人とパリサイ人の物語のように。

震災から10年たった。理由がない者同士、いったいこの10年で何を学び、何を結んだのだろうか。

その答えはボクたちそれぞれに委ねられている。 20050120,132,1,震災から10年〜その2。,1,,10年前の記憶とはおぼろげであるようで、一方で昨日の事のようだ。

神学校の卒業に必要な実習は普通夏に行うのが通例であった。しかし「夏だとどうしてもキャンプや夏期学校といった夏特有の教会行事に忙殺されやすい」「普段の教会の姿を見ることの出来る春に実習をしよう」そう思って、夏の実習を春に遅らせた。

しかし結果的に非日常的というより特異な実習をすることになった。その最初の一週足らずの期間をボクは震災後3ヶ月目に入った神戸で過ごしていた。

長田区のある小学校で西岡本に集まった同盟のボランティアは奉仕をしていた。たしか神戸YMCAの斡旋だったような記憶がある。すでに3ヶ月、未だ3ヶ月であった。基本的なライフラインは当初とは異なりだいぶ復旧していた。ボランティアの合間に、この街をしっかりと見ておこうと思った。なんの目的もなく小学校の周りを散策した。木造住宅の多くが全壊や半壊をしていた。辛うじて倒れなかった住宅は文字通り「つっかえ棒」で支えられていた。公園には犬を連れて避難している人たちもいた。空は雲に阻まれ、ねずみ色をしていた。

小学校に戻ると、パンを避難している人たちに配った。大手食品会社から配給されていたその菓子パンは、もう数ヶ月も続いていた。特にお年寄りにはこの食事はもう限界に近い状態だった。贅沢な表現かもしれないが、毎日、毎日菓子パンなのだ。小学生に協力して貰い「とにかく置いておくだけでいいから」とパンを配った。いつでも食べることの出来る食事は、残念ながらこのパンしかないのだ。

子どもたちも随分ストレスがたまっていることは明らかだった。多くの子どもたちが、若いボランティアのボクたちにじゃれつき、ときに蹴りをしてきたりした。大人の不安を子どもたちは敏感に受け取っていた。

ボランティアもそれぞれの団体で個性が異なり、ときに混乱をきたしていた。不思議なことに某仏教系団体青年部とボクらキリスト教会のボランティアはウマがあった。

長田の街を見ていて、また長田の人たちと話をして、ボクの生まれた川崎の工業地帯を想い出した。そんな話を校舎の中に避難していたおじさんに話すと「俺は川崎で以前働いてたんだ」と言った。下町の工業地帯特有の匂いがそのおじさんたちにもあった。

「今度、東京で大地震が起こったら、俺たちがトラック連ねて助けに行ってやるよ」「よろしくお願いします」

そんな約束をおじさんたちとした。

ボクは今度の新潟の震災でもスマトラ沖の地震でも、そしてたぶんいずれ起こるであろう東京の地震でも、この約束を必ず神戸の人たちが果たしてくれる(くれている)と信じている。 20050114,131,1,震災から10年〜その1。,1,,神戸・淡路の震災から10年が過ぎた。
神学生だったあの頃、テレビが家になかったボクは神学校に行って初めて、関西に大きな地震が起こったことを知った。昼休みに神学校のテレビにかじりついて見た。

神学校の授業をほったらかして神戸に行こうかと相談するボクたちに「君たちは勉強が第一だから」と神学校は首を縦に振らなかった。そのとき既に50代で遅い献身をして沖縄から神学校に派遣されていた藤田さん(現石垣島の八重山教会牧師)が、その制止を振り切って神戸へ出かけた。

後になって深く恥じたのだが、あのときボクらは先生たちの制止を振り切って、授業をすっぽかして、神戸に行くべきだったのだ。一応、若い世代であったボクらよりも、藤田先生の方が志と行動力を持っていた。

潮来出身の久保先生は厚木教会から、また教会員の舘下兄は仕事を休んで神戸震災の初期に駆けつけた。

結果的に2〜3月にかけて、制止を振り切れなかった神学生のボクらは、ほとんどの者が神戸に1〜4週間位、図らずもボランティアに参加することになった。3月になっても、西岡本教会の周囲はめちゃくちゃだった。西岡本の牧師であった畑先生はご自身の病気と震災の中で本当に疲れておられた。

ボクが訪れた神戸はちょっと異様な光景だった。電車は途中までと伝え聴いていたが、梅田から阪急にのった。電車には被災者に物資を持っていこうとする大きなリュックや荷物を抱えた人と、一方で海外ブランドの袋を抱えた母娘がいたりと、「これはいったいなんのこっちゃ?!」と電車に乗りながら思った。

しばらく大阪を走っていくと、屋根のブルーシートの数がどんどん増えていき、公園には自主非難している人たちのテントが見える。

西宮からバスと言われていたので、駅を降りた。お腹がすいていた。震災でも何かないかと探すと、駅前のマックはしっかり営業していた。「なんだ、こりゃ?!」と想いながらも、マックに入り昼食を取った。

随分長い列を作り、やっとのことでバスに乗り込んだ。
道は自衛隊によってほとんどが規制されていた。どのくらいバスに乗ったかよく覚えていない。確か途中から再び、阪急に乗ったような気がする。あるいは駅まで歩いたのだったろうか?

岡本の駅から教会まで歩いた。駅前のダイエーは品物は少なかったがしっかり営業していた。またパン屋さんも一生懸命営業していた。

駅を降りてよく判ったことだが、JRの線路を境にして海側と山側の被害は全く異なっていた。それは地盤の問題と、そして経済的な問題の二つが絡み合って、そうした結果を生んだのだろう。山側は所得の高い人たちが住み、しっかりとした家を建てていた。海側の下町は建物も地盤も弱かった。

先の高級ブランドの袋をもった母娘はきっと山側の被災者?だったのだろうか。
何とも複雑な気持ちがした。

西岡本教会も山側に属していたため、被害は比較的小さかった。

歩いている途中、人々がなぜか道の真ん中を通る。
確かに瓦礫等があるので、車はそれほど通らない。ちょっと不可思議に想いながら歩いていると、途中ではたと気づいた。みんな壁が怖いのだ。もし余震が来たとき、この崩れかけた家々の壁が自分に降りかかってくる。すでに震災から2ヶ月以上たっていたが、人々の心は未だ地震の中であった。

教会に着くと藤田さんが迎えてくれた。藤田さんが教会に集まったボランティアの食事の世話の一切を引き受けていた。たぶん藤田さんがいなかったら、あのときの同盟のボランティアは成立していなかっただろう。

そういえば、久保先生が福祉の勉強をしようと思ったのも、この震災がきっかけだった。いま磯子の丘教会の牧師をしている大矢誉生先生もやはりこのときのボランティアがきっかけで牧師に献身することを決意した。

あの震災は色んな形で、色んな人に影響を与えた。

教会の中に入り、今までの道程のことなどを藤田さんに話した。藤田さんは「なんだちゃんと電車ルートも生きてるのに。状況の伝達が大阪とうまくいってないんだよね。」とため息をついた。

どちらが悪いわけでもない。ただ2ヶ月たった神戸は未だ混乱の最中だったのだ。 20050105,130,1,日々新たにされる。,1,,教会のメール送信の方法を個人のメールソフト経由からネット上のCGI経由に変更した。いわゆる迷惑メール対策である。

今までも何度か迷惑メール対策を加えてきた。しかし対策を加える度に、迷惑メール業者もアップデートをしてくる。

勿論、手っ取り早い方法は今までもあった。
たとえば@マークを教会メールアドレスのところで全角文字に記入しておく。メールアドレスは半角文字が原則だから、送信する側はこの@マークを半角に戻さないと、教会に送信することは出来ない。いままでの迷惑メールソフトだとこの全角から半角への変換機能がなかったため、迷惑メールの送信を阻止することが出来た。

この方法は簡単かつ効果的であったが、これをボクはボクなりの考えからそうした方法を取らなかった。
「果たして、メール初心者にアットマークを半角にすることが容易く出来るだろうか?」という疑問があったからだ。

教会という本来開かれたコミュニティーにおいて、連絡を取る手段が閉じられている、というのはボクにはどうしても聖書的であるとは思えない。教会に足を運ぶにしろ、夜中に電話をかけて来るにしろ、HPのROM(読んでいるだけ)から掲示板に書き込むにしろ、メールを送信するにしろ、初めてその行為をする人にとっては大変なエネルギーとストレスがかかっている。そのやっとのことでした行為が、たかがアットマークひとつで挫かれるなんてひどい話だ。

そうした理由からついさっきまではJAVAという簡易プログラムを使ってそれぞれのメールソフトに教会のアドレスを記入する方法を取っていた。

しかし最近教会に送られてくる迷惑メールから、そのJAVAでさえ破られていることが明らかだ。それで最終手段とも言えるCGIプログラム経由にした。ちょっと悔しいが、4月からボク自身は管理が出来ないし、リスクを考えると仕方がない。

考えた末に、教会のメールアドレスを画像で、しかもスキャンでは読み込みにくい文字で表示をし、そこにCGIのリンクを入れた。だって住所も知らずに手紙が知らない場所に送られるなんてちょっと嫌でしょ?

技術は日々新たになる。しかしそれと同時に悪もやはり日々新たにされる。

するとボクらはそれに対して再び新たにされていく必要が出てくる。そうでないと悪に犯されてしまうからだ。

しかし一方で新たになっても、教会や人は開いていかなければならない。なぜなら人との関わりのないところに愛もコミュニティーも存在しないからだ。

ボクらはこの悪に染まらないことと開いていくことの間で葛藤している。

バプテスト教会は戦前、「バプテスト(浸礼・洗礼)」の訳として「新生」という言葉をしばしば使った。戦時中、文部省の指導によって出来たプロテスタント最大教派の日本キリスト教団の中で、名前に「新生」と付いている教会は十中八九、元はバプテスト教会だ。

迷惑メール対策やウィルス対策と同じように、ボクら自身も神さまによって日々新たにされなければならない。そしてそれは神さまがそうであったように他者に開いていくことを前提にして、新たにされなければならない。それがたとえ葛藤を含んでいても。

今年もそうした姿勢を潮来教会は忘れないでいたい。 20050102,129,1,Merry christmas & Happy New Year!!,1,,
Merry Christmas & Happy New Year!!_Photo


「要点は結果にはない。むしろ過程にあるようにボクには思える」森有正
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。
                      私は既に世に勝っている。」ヨハネ16:33 20041228,128,0,感謝しつつ,0,, クリスマスの諸集会が終わり、今年も一段落です。例年だと、この時期は風邪をこじらせて体調がいまいちなのですが、今年は元気にこの時期を過ごしています。こうして久しぶりに牧会「月誌?」を書くことができ感謝です。今年は既に年賀状書きを始めていますので、わたしからの年賀状が何と元旦に!届く人もあるかもしれませんよ。
 2004年の最後の一週間、普段はできないことをしたいと思っています。特に読みたい本が山ほどあるのですが、なかなかその山は小さくなりそうもありません。時間は限られていますし、責任を持つということは、自分のやりたいことではなく、やるべきことをやるということであるので、自分の願うように時間を使うことは難しいです。新年礼拝のメッセージの準備や教会や幼稚園の仕事をしながら、家の掃除や書類の整理、家族サービス(これも結構大切)などをしたいと考えています。
 インドネシアで起こった地震と津波で多数の犠牲者が出たニュースが毎時間のように報じられています。そのことを思うと、生きているのは決して当たり前ではない、生かされているのだということを改めて覚えます。生かされていることを日々感謝しつつ、置かれた状況の中で真実に歩みたいと思わされました。

20041213,127,1,田舎の教会の役割。,1,,ここ最近、ひきこもり関係の相談が相次いでいる。
自分自身17年も前にひきこもって、辛うじて生き延びた。牧師になろうと思ったのも、これは変な言い方であるけれど、「一度、人生は終わってしまった」と我に返ったボクは当時思った。そして「ならば残った命を神様のため、誰かのために使おう」と感じた。あのとき、ボクに残された時間はごく僅かな気持ちがしていた。

「ひきこもり」という言葉さえまだなかった頃の話だ。そんなボクが人の相談になんか乗っていたりする。
ボクは人に何かを教えることの出来る人間なんかじゃない。相談されている子どもたちと同じように家族を傷つけ、モノをぶち壊していた。
いまはただ自分の責務を、たぶん神の定めと自分の罪と重荷の責務を、果たそうとしているに過ぎない。

ひきこもりの相談によってよりいっそう意識するようになったのは、田舎のひきこもり、田舎のひきこもり家族の社会的環境の悪さだ。
地域の医療従事者でさえ、精神病者や心の病に対する差別感を持っている。一応「うつ病患者」のボク自身、病院や薬局で何度か嫌な思いをした。
医療従事者でさえその有様であるから、役所や学校、地域社会にそうした理解が十分にあるはずもない。公のサポートはあってなきがごとしである。国からのお達しも法律もある。建物も予算もたぶんある。しかしそれを機能させる人材と意志が足りない。
そして現代の田舎は、都会以上の非常に依存度の高い車社会である。つまり車を運転できなければ、病院に行くことも、買い物をすることも出来ない。

元来、「ひきこもり」とは子どもが部屋に籠もりっぱなしなる状態を指しているが、田舎では心の病やそうした状態に当事者家族にも地域にも差別感があるため、家族が家族ごと、地域社会から孤立するような状況にしばしば置かれる。
下手をすると田舎の、畑のど真ん中の家に、家族丸ごと、孤立する。

最近、茨城県で相次いで起こったひきこもり家族の事件は、そうした環境の下に熟成され、そして適切な援助のないまま破裂した。しかしこれは氷山の一角に過ぎない。

日本人論の基本書である「菊と刀」ではないが、田舎では「恥」を隠す。何故なら社会的環境が何世代にも渡って変化しないためだ。一度の失敗は代々言い伝えられる。そして暮らしている社会的環境が流動的でないが故に、おかしな事があっても「それはおかしい」と言いづらい状況も同時に起こる。お上の言うことに従順になってしまうのも、他人の顔色を伺い、新しいことを市民感覚で行えないのも、そこに源がある。
まるで典型的な日本人論・村社会論を語っているようだが、実はこれが田舎の現実だ。

映画監督の大林宣彦は「(田舎は)都会のように急いで大人になる必要はない。都会が忘れかけた少年の瞳を忘れずにゆっくり大人になるのがいい」と言った。田舎は田舎でよい部分がある。それは判る。しかしゆっくりでも変わっていかなければならない事柄もある。それは田舎の人がやはり豊かに自由に生きるために。

プロテスタンティズムが如何に産業革命前夜の農村に変化をもたらしたかは、マックス・ヴェーバーを引くまでもなく有名な話だ。環境だけが人間を規定したのではなく、神から与えられた意志が社会に変化をもたらした。そうした気質(かたぎ)ともいうべき態度をヴェーバーはエートスと呼んだ。

田舎の教会の役割は、田舎を愛しながら、否、愛するが故に、キリストにおけるエートスを失わずあきらめずに、田舎の空気の中にゆっくりと、しかし確かに流していくことだ。

ボクのやっているあまり生産的ではないひきこもりの援助も、やはりそうしたエートスに支えられなければ走り抜くことは出来ない。

ゆっくりといえども、変化の時は迫っている。
だからこそ、田舎のキリスト者は派手ではなくとも、深く静かなエートスをそれぞれの仕事の中で伝えていかなければと思う。
田舎の地に根ざした、茨城人の、茨城人の手による、茨城人の為の、静かで深く強い信仰を、田舎の教会は育て支えなければ。 20041201,126,1,「変貌」と「傷み」。,1,,たぶん今日はうまく説明できないことを書こうとしている。

いま教会員であるKさんのモーツァルトを聴きながら、この文章を書いている。
先日の50周年記念感謝コンサートでKさんは演奏と共に、ご自分の留学先での「出会い」とその生活の中での「変貌」と、その「変貌」の結果、日本の先生たちとの約束を破る形でドイツに留まり学び続けたことなどを話して下さった。

去年のクリスマス、Kさんに何かのついでにフランス文学者、森有正によるパイプオルガン演奏のバッハ・コラールと講演のコピーを差し上げた。なぜ差し上げたのかその理由さえ、いまは定かではない。ただ何となく森有正と同じような匂いを前からKさんに感じていて、それで差し上げたのだろうと思う。

ボクの勘は確かであった。
森有正を読んだことのある人は判るだろうが、Kさんが留学先で変化していった様は森がフランスに留まった状況とよく似ている。

何かの出会いによって人は変化をする。
しかしそれは他の人からは外圧による変化のように見える。しかしそうではない。それはその人自身の中からその変化が生じている。出会いはきっかけに過ぎない。そして抗しがたく何かに突き動かされるように、人は新しい自分に出会い、そしてそれを開いていく。

「自由に生きる」と言えばそうなのかも知れない。
しかし「自由」とは、また「変貌」とはそれほど簡単なことではない。何故ならある自由はある自分の不自由を選び取ることであり、自由を行使するとき、人は何かを犠牲にする。そしてときとしてその「自由」は他の誰かを傷つける。

キリストを信じることは「変貌」を知っていくことであり、一方で人間的な地平での「変貌」と「自由」は人に「罪」や「傷み」ということもよく知らせる。

単純に何が「善」で何が「悪」ということは言えないけれど、森の生き方を見ても、先日のKさんのお話を聴いても、「変貌」には「傷み」がともなうのだと思わされる。 20041106,125,1,青年は荒野をめざす。,1,,香田証生さんがイラクで殺害された。

数ヶ月前、イラク戦争が始まった頃、この牧会日誌に「事実上、イラク戦争に参戦している以上、このイラク人の血と痛みの責任は我々にある。」と書いた。そして日本人初めての人質事件による犠牲者が出た。

保守的な新聞の論調は香田さんとその家族に手厳しい。
「安易だ」「思慮のない」等の言葉が並ぶ。
ボク自身、最初この拉致報道を聴いたとき「考えが足りない」と思った。

「安易だ」「思慮がない」というのは簡単だ。
しかし一方で思う。ボクらはどれほど「安易」ではなく、「思慮深い」だろうかと。

若者が若者たる所以は「冒険心」である。換言すれば「思慮のなさ」だ。
そしてその「思慮のなさ」による冒険と人との出会いが、若者の人格を形成する。

誰もが大なり小なり若いときに危険を冒し、そしてたまたま生き残る。
生き残ったからと言って、死んだ人間や傷ついた人間に対して「思慮がない」という権利などたぶんどこにもない。何故ならボクらはたまたま危険を回避し、たまたま生き残っただけだからだ。

香田さんの場合、イラクに入ることを望み、その目で戦争が何であるかを確認しようとした。たしかに安易でたしかに思慮がない。しかし戦争を嫌いつつ、そこで無実の市民が死んでいるにもかかわらず、ボクらは日本で手をこまねいている。

阪神の震災にボランティアで行った経験から思うのだが、事実、行ってみないと判らないことは多くある。ボクの中には未だあの焼け落ちた長田の荒野の風景と配給で並ぶ人の列と子どもたちの持って行きようのない思いの様子が心に刻み込まれ、いまも宿題として残っている。
思慮がないといわれようとも、香田証生さんは自分の目で戦争を見ようとした。日本人として戦争を見ようとした。そして日本人であったからたぶん彼の愛そうとしたイラクや中東の人から殺された。

それは果たして、ただ思慮のないだけのことだったのだろうか?

彼の血はボクの血の代わりでもあったのではないだろうか。
いまいちど、日本人はこの戦争を自分のこととして考えなければと思う。 20041022,124,0,命の大切さ,0,, 今年は台風の当たり年です。被災した地域の方々にお見舞いを申し上げます。
死者○○人、行方不明○○人という仕方で報道されますが、総数が何人であろうと、その一人一人は固有のかけがえのない存在です。全体の数字が大きいと大きく報じられ、全体の数字が小さいと扱いも小さくなりますが、総数にかかわりなく、亡くなった方をとりまく人々にとってはそれぞれの死はたいへん重いことを忘れてはならないと思います。

 話はやや飛躍しますが、交通事故の死などについては、あまりにも日常化しているために、よほど身近な人の死でない限り、わたし自身も何も感じなくなってしまっています。仕方のないことと言えばそれまでなのですが、しかし、交通事故はほとんどの場合は人災です。教育の現場で「命の大切さ」を教えていながら、私たちが生きている社会では必ずしも命が大切にされてはいない現実があるように感じます。つまり人の命を犠牲にしてでも他のものを優先するような価値観があるのではないでしょうか。某自動車メーカーの事件などから、そのように思わされます。そして、わたし自身も知らず知らずのうちにそのような価値観に巻き込まれているのかもしれません。他のものを抑制してでも命を優先する価値観を求め、生きたいと思います。
 わたしも毎日のようにハンドルを握っているのですが、自分の車も凶器になりうることをしっかり自覚しなければならないと、この日誌を書きながらあらためて思いました。
20040928,123,0,ついに新しいパソコン購入,0,, 昨年の10月3日の牧会日誌に、新しいパソコンの購入を検討していることを書きました。それからもなお1年間、愛用のパソコンを使い続けてきました。しかし、画面の上から下まで現れる縦の白い線(ドット抜け)の幅が2ミリ近くなって、本当に使いにくくなってしまいました。また画面の一部が暗くなり、そのあたりが熱を持つようになってきたので、いよいよ買い替えを決断しました。
 今使っているIBMのパソコンはちょうど4年間使い続けたことになります。液晶の問題がなければもう少し、長く使うことになったと思いますが、DVDドライブも必要になったので、やはり潮時かなと思います。そして、きょう、ついに富士通のWEBSITEでノートパソコンを注文しました。MG75Jのカスタムメイドです(PentiumM1.7 XPHome メモリー256M HD80ギガ 14.1インチ Officce無し)。メモリーは追加するつもりです。新しいパソコンが手に入ったら、この牧会日誌ももっとまめに書けるようになる????。
 しかし、先日ふと思いました。以前は机に向かうときは、本を読むか文字を書くことにほとんどの時間を費やしていましたが、今はパソコンの画面を見ることと、マウスを動かすことと、キーボードをたたくことにかなりの時間を費やしています。パソコンは便利ですが、もしかしたら人間から「じっくり考える」という営みを奪っているのではないかという恐れを覚えます。つまり精神活動が能動的であるよりも受動的になってきているような気がします。新しいパソコンはきっと今よりもずっと仕事を早くこなしてくれるでしょう。しかし、同時に自分で「考える」という営みを奪われないよう、よほど気をつけなければいけないと肝に命じています。神様が与えてくださった知性、感性、霊性はパソコンでは代わり得ないものです。
20040920,122,0,親バカ?,0,, 先週の土曜日は、次女(小学4年)の小学校の運動会でした。前の日の夕方遅く、折りたたみのベンチを置いて席取り。当日は娘の出番になると、ビデオカメラを持って動き回り娘の様子を撮影・・・。典型的な「親バカ」です。
 でも、ふと思いました。「娘が高校を卒業し、自宅から通えない学校などへ進めば、一緒には生活できなくなる。そうすると毎日のように顔を合わせて暮らせるのは、あと8年半。」
 人の寿命は延びましたが、こどもと一緒に生活できる時間というのは意外と限られていて短いものです。そう考えれば、この一日もずいぶんと大切な一日なのだと感じます。あたりまえのように過ごしているこの現実の中に目立たない神様の恵み(例えば、娘と一緒に居られるということ)がたくさん隠されていることに気付かされます。そのような目で自分の生活を見直すと、「平凡」であることが、「退屈」ではなく「感謝」となってきます。
 次女の小学校の運動会を見ることができるのはあと2回。6年生になると、親子の二人三脚レースがあります。まだ二年も先のことなのに、親バカなわたしは「よーしがんばろうな」と、今から張り切っています。 20040907,121,1,プロ野球再編と「児孫の自由」。,1,,さてボクが学生時代のことである。
神学校と大学で昼も夜も忙しかったのだか、4月と9月になると必ずと言っていいほど新聞の勧誘に捕まった。

勧誘員:「すみませ〜ん。新聞とってもらえませんかねぇ〜。」
矢田部:「はぁ」
勧誘員:「お宅が新聞とっていないのは判ってるんですよぉ。俺は良い方だけどね、他の勧誘のヤツには手荒い連中もおおいよぉ。」
矢田部:「・・・」

これは明らかに脅しである。
面倒くさいので新聞を取ると答え、すぐにクーリングオフをした。
しかし半年後、再び違う勧誘員がやってくる、というイタチごっごであった。
ちなみにこういった強引な新聞勧誘は必ずと言っていいほど、Y新聞であった。

昨日テレビを見ていて、Y売Gアンツが「パリーグに移籍するぞ!!」というニュースを聞いたとき、「あぁ、やっぱり親会社と同じやり方だな。これは恐喝だよな。」と思った。

「俺について来い!!」昔の青春ドラマだったらリーダーの後に他の者も夕陽に向かって走っていったかも知れない。しかしいまのGアンツに他のオーナー達は兎も角、選手やファンがついて行けるかと言えば、行けるわけがない。なぜなら青春ドラマと異なり、GアンツのW氏や他のオーナー達は自分のことしか考えていないからだ。青春ドラマでみんながリーダーついて行くのは、リーダーが自分のことではなく、友人や生徒のことを最優先に考えているからだ。

ところで、こういった親会社が異様に強い日本特有の産業システムは戦時中に形成された。戦時下の統制経済をせざるを得ない状況の中、日本の傀儡政権である満州国で既に統制経済の実績を持っていた岸信介(後総理)らが企画院を中心に立案したものだ。親−子会社制もメインバンク制もこの統制経済によって強制的にシステム化された(日本経済史の巨人、中村隆英氏「昭和経済史/岩波書店」に詳しく書かれている)。しかしそのシステムがすでに老朽化したり、歪んだりしていることはご承知の通りである。

たぶんテレビの前のボクらが同様に感じているのは、今回の出来事が単純にプロ野球界だけのことと思えないことである。自分の会社の縮図だったり、日本社会の縮図が、あの古田選手の苦悩する顔に映し出されている。

キリスト教信徒として知られる労働経済学者、隅谷三喜男氏が晩年に行った大きな仕事は成田空港闘争問題の円卓会議議長であった。戦後、いまの潮来日の出地区同様、成田の山林に職と食料を求めて開墾民として入植した人たちがいた。しかし成田空港着工により半ば強制的に土地を奪われる。その政府と農民、学生も加わり泥沼化したものが、あの成田闘争であった。隅谷先生は大江健三郎との対談の中で成田問題を述懐して以下のような内容を語った。
「手続き自体は確かに法律に基づいて民主的であるように進められていた。公聴会も開かれ、そうした先に法律に基づいた強制移動ということも行われた。しかし形は民主的な手続きを取っていても内実はそうではなく、単なる上からのもので、そこには本当の意味での話し合いが成立していなかった。」

円卓会議の最初に「ここは話し合いをする場です。警察官は必要ありません。出て行ってください!!」とあの温厚な隅谷先生が怒鳴った姿は印象的だった。その言葉を受けて新聞記者や政府関係者に装っていた私服警官が出ていった。そして1年余の歳月をかけて話し合いは続けられた。その話し合いの最後に開拓民たちが語ったのは「児孫(じそん)のために自由を律す」という深い言葉だった。

親会社Y売新聞もGアンツや他のオーナーも子や孫という後の世代のことを本当に考えているのだろうか?政治家も次の世代のことを本当に考えているのだろうか?本当の話し合いをしているだろうか?

翻って、その言葉はボクたちにも向かってくる。 20040823,120,1,セキュリティーとネット社会への警鐘。,1,,教会と幼稚園の掲示板プログラムをアップデートした。

別にソフトの動作に問題があったわけではない。ある方から幼稚園の掲示板のセキュリティーの脆弱さを指摘された。つまり「あなたの家は鍵がかかっていませんよ。これでは外から丸見えですよ」ということを教えてくださったのだ。

実際、僕らはしばしば「自分のところだけは大丈夫だろう」とタカをくくる。
しかし幼稚園にしろ、教会にしろ、個人のサイトではなく、公のサイトである以上、こうしたことに関する対応も社会的責任の一部である。ここ一週間を使ってソフトを一応セキュリティーに対応したものに差し替えた。だが見た目では「どこが変わったの?」というのが大方の印象であろう。

自分の家に鍵をかけるように、自分の車に保険をかけるように、ネットに置いてもある程度の危険に対応できる状態にしておくのは、一般にHPを公開するにしろ、メールを使用するにしろ最低限の責任である。

しかし車や家のことならばみんな理解できることが、ことPCやネットに関しては多くの人は十分にその責任を理解できていない。だからウィルスによって自分のPCが壊れるトラブルや、人にウィルスメールを送るといった加害者になる場合も多いし、その被害者になる場合はもっと多い。

先週のhttp://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0408/18/news021.html?nc40にあるリンクのネットニュースでは、「ウィンドウズアップデートを施していないPCはインターネット接続後、約20分で悪質なソフトに感染する」という実験の報告が記事になっていた。

好むと好まざるとに関わらずインターネット社会に私たちは突入し、その恩恵に多くの人が与っている。車の自賠責保険と任意保険に加入するのが常識のように、ネットに接続しているPCにおいて、ウィンドウズアップデートウィルスソフトのアップデート、また大抵一年期限のウィルスソフト使用期限の延長(車でいうと保険の再更新)を、その恩恵に与るものとして「常識」にしていかなければならない。

PS:教会HP表紙の冒頭に、ウィルスに関する簡単な説明文へのリンクが張ってありますので、良くわからない方は参考にしてください。 20040803,119,0,「キャンプなんだから・・・」,0,,みなさんお久しぶりです。数ヶ月ぶりの牧会日誌への書き込みとなりました。

 7月29日−31日にJキャンプ(日本バプテスト同盟の関東地区の諸教会合同のキャンプ)が行われました。小学校1年生から70歳台の方々まで80余名が参加しました。台風の影響で最初の2日間は、雨が降ったり止んだりの天気でしたが、参加者はそれなりに楽しんでいるようでした。薪を燃やして料理をしたり、昔ながらのトイレを利用したり、街灯の無い暗い夜道を懐中電灯で照らしながら歩いたり、普段の生活では経験できないことをたくさん経験できました。
 キャンプの期間中、ときどき「キャンプなんだから」という言葉を耳にしました。いろいろと思い通りにならないことはあるけれど「キャンプなんだから、こういうものだと受け容れていこうよ」という意味で用いられていました。家にいるときと同じような便利で快適な生活を求めたらキャンプ生活は不満なことばかりが目に付くことでしょう。不便な情況を快適だと思いなさい」というのでもなく、「キャンプなんだからただひたすら我慢しなさい」というのでもなく、「キャンプなんだから」とその状況を受け止めていくときに「キャンプならでは」の新しい発見や新しい喜びを見出すこともできます。

 パウロはこう言っています。「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピの信徒への手紙4:11−13)
 どんなときでも、わたしを強めてくださるお方が共にいてくださり、必要な支えを与えてくださることを信頼すること。これが「いかなる場合にも対処する秘訣」であり、情況に支配されない自由のみなもとです。
20040720,118,1,Webの良さ、Webの悪さ。,1,,先日、潮来教会掲示板にある方がある催し告知の書き込みをして下さった。
正直、どんな方であるか、またその情報や意図があるのか、Webを管理する側としては確認をする必要があった。ふつうの書き込みではあるのだか、ひとつ気になったのがその方が自分の事を「教戒(教え・戒め)にかよっている」と書いていたからだ。

ふつう教会関係でPCを使っている人で「教会」という使い慣れた変換を「教戒(教え・戒め)」という変換に間違えることは希であるからだ。催しの内容は兎も角、「一応、確認はしなくちゃな」と思った。そこでその書き込み中にあったその方のホームページを訪問し、いろいろな記述を読ませていただいた。

話は簡単であった。一方で驚きでもあった。
つまりこの書き込んで下さった方は視覚の障がいをお持ちで、ボクたちのような視覚的なPCの使い方、Webの閲覧ではなく、視覚障がい用ソフトを使い音声によってWebの閲覧をなさっていた。掲示板に書き込む折りにもキーボードは使えたとして(たぶん自分の入力も音声によって確認なさっている)、「教会」と「教戒(教え・戒め)」の音声での違いは確認できない。

だから「教戒(教え・戒め)」という表記になっていたのだ。

長年Webに携わってるボクでも、その方の書き込んだ文章を読んだときに、すぐさま「視覚障がいの方である」と全く判らなかった。

つまりWebにおいてはソフトの発展により、障がいのあるなしを感じずに対話する可能性が広がっている、ということである。ベストではないがベターにはなっている。

説明は省くが、掲示板の読み書きができると言うことは、この日誌も読むことができるということになる。

その方に書き込みのお礼のメールを送り、また潮来教会のホームページが視覚障がい者の方に使いよいかどうか助言をお願いした。返信によればかなり自由に読めているとのこと。しかしそれはボクら教会側の配慮によるのではなく、まちがいなくソフトの発展のお陰だ。そのことは肝に銘じなくてはならない。

こうしたWebの「明るい部分」の反面、あの長崎佐世保の小学生殺傷事件の様な、Webの「暗い部分」もある。

機械は確かに高機能になり便利になる。
しかしWebにしろ、実際の私たちの日常にしろ、本当に人との出会いを喜ぶかどうか、そこに要点がある。

その要点を軽んじたとき、バリアフリーを可能にしてくれる機械も、バリアフリーどころか余計にバリアを作ることとなる。

『外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。』マルコ7:15

機械やWebが人を汚すわけではない。使う人が機械やWebを汚すのだ。

ボクはWebで知り合った引きこもり関係の友人たちに随分支えられ、いまもその友情に変わりはない。
できることならボクの友人がボクにしてくれたように、Webが友愛を伝える場になればと願う。 20040522,117,1,伯母の死。,1,,伯母が亡くなった。母の姉で、母と同じく牧師と結婚をした人だ。

教会の中では「牧師夫人」という妙な名称があり、名称があるということはそこには言葉に表されるにしろしないにしろ、一定の機能・働きが期待されている。そのことはあまり良い伝統ではないが、未だにそうした感覚が存在するのは事実である。

その周囲の「期待」から言えば、伯母はまったく出来のわるい「牧師夫人」であった。
なぜならば、ボクは36を過ぎているが、歩いている伯母の記憶はただ1度きりである。親戚との家族旅行で箱根に行ったとき、かろうじて伯母が歩いている姿を見た。いまになって思い返すと、あれは伯母が旅行を出来るぎりぎりの体力で、たぶん最後の旅行として祖父が計画したのだと思う。

その後の伯母の姿はベッドで横たわっている姿しか知らない。難病で内蔵機能がむちゃくちゃであった伯母、けれど会いに行ったときの伯母はいつも明るかった。明るい病人であった。

ボクたちはしばしば人間が「何が出来るか」ということに重きを置き、それにとらわれてしまう傾向がある。もちろん、自分の与えられた能力を有効に活用することは大切だ。しかし「何かをすることが出来る」ということが人間の価値のすべてでは決してない。
そして明らかなことは、伯母のように30年近くベッドに横たわることになるかは兎も角、ボクたちはかつて天賦や努力によって与えられ、自尊心を支えてきた目に見えて「出来る」ことは確実に失われていく。そのときボクたちに問われるのは「在ること、存在すること」の本当の意味、本当の価値である。

伯母はときに揺れつつも、「在ることの価値」に生きた。
ベッドの上であろうと「あなたは私の喜びである」との神の言葉に生きようとした。

神学校に入学するすこし前だったろうか、伯母の家を訪問したとき、伯母がこんなことを言っていた。
「わたしが動けないからこそ、Aさんはオルガンの奉仕をしてくれているのよ。わたしが元気だったら彼女からそうした機会を奪っていたかもしれない。わたしのおかげよ。」

「在る」ことに生きることは、他者を生かすことであるかもしれない。「わたしのおかげ」というずうずうしさ?、マイナスに思える状況をプラスに捉える自由さ、それは神による存在の肯定に礎がある。 20040501,116,1,イラクの現状。,1,,アメリカ兵によるイラク人への虐待・レイプの写真が米CBS、英BBCなどによって放映され、参加しているメーリングリストを介して、その映像のリンクが送られてきた。バクダッドのアブ・クレイブ監獄などで撮影されたものだ。たぶんもともとはレイプをした兵士が自分たちの楽しみのために撮ったものだと思われる。男性への虐待(たぶんレイプもあっただろう)、女性へのレイプ映像がはっきりと映し出されている。本当にひどい写真だ。女性の恐れと絶望の表情、アメリカ兵士の勝ち誇った表情が見て取れる。いまだ戦争中にやはり報道写真で子供の死体を見たが、それよりもひどい。(日本でのネット上の報道はhttp://www.asahi.com/international/update/0501/002.htmlを参照。ただ実際の写真の内容に比するとあたかも自主規制しているようにも思える。)

第二次世界大戦のときに兵士として出兵したことのある恩師が以前ボクにこう言った「戦争の恐ろしいところは、戦争は人間を非人間にしてしまう。だから絶対に戦争をしてはならないのだ。」と。

兵士を擁護するつもりはないが、戦争の悪に巻き込まれたという意味ではイラク人もアメリカ兵士も同様かもしれない。

主イエスを十字架につける裁判でユダヤを支配するローマの責任者であったピラトはユダヤ人を目の前にして、主イエスをどう扱うべきか問いただす。ユダヤ人は主イエスを十字架につけろと叫んだ。

『ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」』マタイ27:24〜25

事実上、イラク戦争に参戦している以上、このイラク人の血と痛みの責任は我々にある。そのことを日本人は自覚せねばならない。 20040417,115,0,「感謝」の反意語,0,, 先週、腕時計のベルトを時計の部分につなぐ金属のピンが無くなってしまいました。そのため、しばらくの間、「腕時計」を「腕」ではなくポケットに入れて持ち歩いていました。腕時計を左腕の手首につける生活にすっかり慣れているので、時計を見るのに、いちいちポケットから引っ張り出すのが何とも不自由に感じました。腕につけているときはそれが当たり前でありがたいとも便利だとも感じなかったのですが、一度それが出来ない状況を経験すると、時計を腕につけていることがいかに便利なことであるかがわかりました。時計屋で修理してもらい時計を再び左腕につけることができたときは、ありがたいと思いました。しかも無料で直してくれたので感謝感激。
 時計に限らず、わたしたちが与えられているモノや状況を当たり前と思っていると、感謝の念は出てきません。「感謝」の反意語は「当たり前」です。言い換えれば、当たり前と思っていることがらを一つ一つ思い起こし、それが失われた状況を想定すると、いかに多くのものを与えられていることかと気付かされ、感謝の念が出てくるのではないでしょうか。
 話は変わりますが、4月の始めに受けた人間ドックの結果がかえって来ました。数値的にはすべて正常範囲でした(体重が少ないこと以外は)。これも感謝なことです。命は神様の手の中にありますが、与えられている命を少しでも良く生きるために、生活習慣病には気をつけたいと思わされました。

20040404,114,0,人間ドック,0,, 日誌にしてはあまりにも間があきすぎているので、「牧会日誌」改め「牧会月誌」にしたほうが良さそうですね。教会も幼稚園も学校も年度の変わり目で何かと慌しく過ごしています。でも、この冬は風邪をこじらせることなく乗り切ることができました。多くの方々のお祈りのおかげだと感謝しています。
 先週の金曜日、人間ドックなるものに初めて行きました。父の強い勧め(ほとんど命令?)もあってのことです。来週詳しい結果を聞くことになっています。現在抱えているいろいろな責任を考えると、良い体調を維持することは決して私的なことがらではないと思わされています。もちろん命は神様の御手の中にありますが、その上で自分としてできることはしていきたいと思います。一生懸命生きることと無理をすることとは違います。神様の前で、プライオリティー(優先順位)を間違えないようにしたいものです。 20040309,113,0,10000を突破,0,, このホームページを訪れた方の数がいつの間にか1万を越えました。潮来教会の関係者の方たちが大部分だと思いますが、わたしたちが直接お会いしたことのない方も訪れてくださっていることと思います。インターネットにはさまざまな危険性もありますが、今後ますます普及していくことは確かでしょう。車を運転するのと同様に、危険性については十分注意を払いながら良い面を用いていくことが大切です。この潮来教会のホームページが、訪れる方々に、少しでも良きものを、Good Newsをお届けできれば幸いです。 20040221,112,0,一良牧師テレビにl登場,0,, このホームページの「掲示板」にも書きましたが、2月27日(金)の日本テレビ「おもいっきりテレビ」に一良牧師が登場します。その日の『きょうは何の日』のコーナーで故藤原一生兄が取り上げられ、その恩師として一良牧師も登場します。時間帯は12時50分から13時頃までで、一良牧師が出てくるのはたぶん2分くらいだと思います。
 21日(金)の夕方に日本テレビのスタッフ4名が東京から来られ、潮来教会の礼拝堂で撮影が行なわれました。ディレクターの質問に答えて約1時間ほど話しました。そのうちテレビで放映されるのはわずか数分です。しかしその数分のためにずいぶん手間と時間がかかるものだなと感じました。
 藤原一生さんが亡くなって10年が経ちました。こういう形で藤原さんの児童文学者としての生涯が紹介されることはうれしいことです。直接キリスト教とは関係のない作品であっても、藤原さんのすべての作品の根底にあるのはイエス様の愛です。これを機に藤原さんの作品が再び読まれること、特に一良牧師との出会いを描いた「赤い目」が復刊されることを願うものです。今は絵本ブームですから、決して非現実的な願いとも言えないと思います。 20040206,111,0,きょうの出来事,0,, 神学校と大学の授業も終わり、ほっとしています。しかし、やることはたくさんあるので、なかなかゆとりはできません。牧会日誌もまめに書きたいと思いつつ、こんな状態です。名称を「牧会月誌」と改めたほうが良いかもしれませんね。
 わたしは幼稚園の園長もしていますので、いろいろな行事に参加します。きょうは、潮来幼稚園にとっては初めての行事がありました。それは避難訓練です。火災の避難訓練はこれまでも毎年行なってきましたが、きょうの避難訓練は「不審者が侵入してきた場合」を想定したものでした。県の指導により実施しました。園長のわたしが「知らないおじさん」に扮し、竹ぼうきをもって幼稚園に「侵入?」していきました。こどもたちには前もって知らせておきましたし、特に変装したわけではなく、恐ろしい身振りをしたわけでもないのですが、年少組の女の子には泣かれてしまいました(竹ぼうきがまずかったかな?)。訓練はすぐに終り、わたしが園長先生に「戻って」、まとめのお話を始めたら泣き止みました。
 このような訓練は本当はやりたくありません。しかし大阪の池田小学校の事件を始めとして、この種の事件が増えているので、対策も必要です。わたしも二人の小学生の娘たちに、「登下校の際には気をつけるように、帰宅が遅れる場合は家に電話するように」というようなことを言っています。
 幼いこどもたちに、人間に対する不信感を植え付けるのはよくありませんが、こどもたちの命を守るために万一の場合を想定した準備もしなければなりません。こどもたちに、人間に対する基本的な信頼の心をはぐくみつつ、危険から身を守ることをも教えることは難しいことです。なかなか名案は浮かびません。
 潮来幼稚園では、毎朝、保育を始める前に、教師たちが讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りをします。「神様、きょうも一日この園を、そして一人一人をお守りください」という祈りをなおいっそう真剣にささげることがわたしたちの為すべきことであると改めて思います。人間としてできるだけのことはしますが、わたしたちは最終的に委ねることのできるお方を知っていることは感謝なことです。




20040119,110,0,あけましておめでとうございました,0,, 牧会日誌をもう少しまめに書こうと思いつつも、なかなか思うにまかせません。新年になって半月以上もたってしまいましたので、いまさら「あけましておめでとうございます」とも言えず、さりとて、今年最初の牧会日誌なので何かのごあいさつをしないわけにもいかず、困っていました。そこで思いついたのが、「あけましておめでとうございました」というあいさつです。今年もよろしくお願いいたします。
 当然、潮来教会以外の方でこのホームページを開き、牧会日誌に目を通してくださる方もおられることでしょう。ふだんはお会いできない方、一度もお目にかかったことのない方、みなさん一人一人の上に今年も神様の祝福が豊かであるように祈ります。
 「誰かのために祝福を祈るということは実際には何を祈ることなのか」という質問を受けることがあります。いろいろな答えが可能だと思いますが、わたしはこのように答えることにしています。「その人にとって『神様の最善』がなされますように。そして、その人が『神様の最善』を信じることができますように」と祈ることではないかと。神様が、わたしたち人間にとって素直に喜べる状況を与えてくださる場合もあります。しかし、『神様の最善は』は必ずしも人間にとって都合が良い状況が与えられることばかりであるとは限りません。しかし、愛の神様が生きて働いておられ、わたしたちの祈りに耳を傾けてくださっていることを信じるときに、人間にとって都合が悪いと感じられる状況の中でも、希望を持って生きていくことができます。
 一日一日、神様の最善を信頼して歩んで行きたいと願うものです。 20031225,109,1,Christmas Song。,1,,ギルバート・オザリバンという70年代〜80年代に活躍し、いまも活動を続けているシンガーがいる。彼の歌で日本人のみならず、世界中の人が愛してやまないのが、Alone Again(アロン・アゲイン/またひとりぼっち)という曲だろう。今もCMや映画、ドラマの挿入歌として多くの人たちに愛されている(一時彼はレコード会社との契約を巡る裁判で活動停止を余儀なくされた)。

しかし彼の歌、アロン・アゲインにしても、歌詞を読むとあの優しいメロディーほど、楽しい歌ではない。ひとりぼっちだったり、母親が死んだり、たぶんオザリバン自身の経験が多少なりとも反映されているのだと思う。それはアメリカ現代文学者のJ.アーヴィングの「ガープの世界」(映画ではロビン・ウィリアムス主演)がアーヴィング自身の経験に基づいているように。アロン・アゲインを聞くとすでにアメリカの代表的な作家となったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて/The Catcher in the Rye」を想い出すのはボクだけだろうか?

(因みにアーヴィングのもう一つの代表作「ホテル・ニューハンプシャー」の映画版には若きJ.フォスターが出ている。J.フォスターはとても好きな女優だった。しかし彼女が精子銀行から優秀な精子を買い、人工授精し子どもを産んでから、彼女のことも、またヒューマニスティックな彼女の映画も見る気がしなくなった。)

話を戻そう。
G.オザリバンのひねくれ方には彼の家庭等の問題もあるだろうが、もうひとつには彼がアイルランド人であるということにもある。アイルランドはもともと独立した文化を持った国であったが、清教徒革命の時代にクロムウェルの遠征によって、イギリスの支配下に置かれる。そのことが元で、アイルランドは北部と南部に分断され、近代、現代に入っても内戦やテロが続いていた。彼はその最中で育ったのだ(アイルランド問題についてはhttp://hanran.tripod.com/irish/irish01.htmlを参照のこと)。ひねくれていても仕方のないことだ。

ボクはクリスマスソングで「何が一番好きか?」と問われれば、迷わずオザリバンの"Christmas Song"と応えるだろう。この曲はあの有名な「ホワイト・クリスマス」へのアイルランド出身のオザリバンからの反駁・パロディーである。

ボクもホワイトクリスマスなんて夢見ない。世界の人々に、悲しみの中にある人々に、戦禍の中にある人々に、平和なクリスマスを!!

Christmas Song / G.O'Sullivan

I'm not dreaming of a white Christmas ホワイトクリスマスなんて夢見やしない
I'm not dreaming of a white Christmas ホワイトクリスマスなんて夢見やしない
All I'm dreaming of the whole day long ずっとボクが夢見てるのは
Is a peaceful one (peaceful one)      平和なクリスマスさ

Merry Christmas, Happy New Year  喜びのクリスマスと幸せな新しい年を
To those of you who live in fear     恐れの中で暮らしている人々へ
And let us hope that very soon     そしてもうすぐだと信じよう
The peace you seek will then resume 人々の求める平和が今度こそ取り戻される事を

I'm not dreaming of a white Christmas ホワイトクリスマスなんて夢見やしない
I'm not dreaming of a white Christmas ホワイトクリスマスなんて夢見やしない
All I'm dreaming of the whole day long ずっとボクが夢見てるのは
Is a peaceful one (peaceful one)      平和なクリスマスさ 20031212,108,1,イラク人からの手紙。,1,,牧師が政治的なことについて、発言をすることを嫌う信徒の方々もおられることはよく分かっている。しかしボクの参加するキリスト教メーリングリストで昨日送られてきたこの手紙を読んだとき、やはりこの事実は事実として伝えることも、一方で一人のキリスト者である自分の責任であるように感じた。このメールを最初英語で読み始めた時、英語の不得意なボクでさえ、このメールの重さを知り、心が震えた。

批判は重々承知の上で、下記の一般イラク人高校教師から日本人牧師に宛てられたメールを転記する。

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私は、Yahoo Japan で、あなた方のメールアドレスを見つけました。
私の名前は●●●●といい、イラクのバグダッドで暮らす高校教師です。
私は、空手と日本語を学びました。
私はいつも、日本および日本の人々を尊敬しています。

米国の侵略を支援するためにイラクに日本の軍隊が来るというのは、
私たちにとって恐ろしいニュースでした。

私は、サダム・フセインを支援したことはありません。
しかし、米国は武装強盗です。彼らは、毎日イラク人を殺しています。
そして、普通の市民はだれも彼らを支持していません。
今、ますます多くの人々が抵抗運動に参加しています。
彼らは旧体制の残党でも、テロリストでもなく、普通の人たちです。

もし、仮にどこかの国が日本を侵略したとしたら、人々がどのように
行動するか想像してください。まさしく同じことが、ここで起こっ
ているのです。イラクを再建するのは、イラク人であるべきです。
決して、侵略者ではありません。

米国の連合軍としてイラクに来ないでください。イラク人は日本を
尊敬していますが、今、日本の軍隊がイラクに来れば、日本はイラク
人とイスラム教徒全体の敵になるでしょう。すべてのイラク人が、
日本に対して失望するでしょう。偉大な国である日本は、過去の歴
史においてイスラム教徒と敵対したことがなかったからです。

米国を支援することに、日本人の生命を含め、あらゆる損失を被るだ
けの価値はまったくありません。侵略者が去った後なら、私たちは
日本を歓迎します。しかし断じて「今」ではないのです。

どうか、日本の人々に、私たちの本当の気持ちを伝えてください。
日本の軍隊は、わが国を侵略してはなりません!

私は日本を愛しています。
ですから、どうか、私たちの敵にならないでください。
私たちは、日本が独立した国として正しい決定をすることを願っています。

                   ●●●●
                   バグダッド、イラク
------------------------------------------------------------------- 20031129,107,1,「ねじまき鳥クロニクル」とペテロの否み,1,,今日のあさ、マルコ14章のペテロの否みの箇所を読んだ。
最期の晩餐で「鶏が二度啼く前に三度あなたは私を否む」と弟子たちの中で最年長だったペテロは預言され、ペテロは「一緒に殺されるとしても主イエスを否みません」と誓う。
ゲッセマネの園で主イエスは彼に敵対心をもつユダヤ社会主流派によって逮捕される。そして偽証によって当時ユダヤを占領していたローマ人により十字架刑に処せられる。
ゲッセマネで主イエスを置いて逃げ出した弟子たちの中で、ペテロは逃げたとはいえ主イエスのその後が気になり、主イエスを十字架刑にするためユダヤ社会の簡易裁判の場となった大祭司の家まで彼を追っていく。大祭司の庭にもぐり込んだペテロは女中に「お前もイエスの仲間だろう」と問いつめられ、「そんな奴(イエス)など知らない」と答える。庭の端に逃げたペテロに対し、さらに女中を含めた人々が問いただしペトロはそれを否定する。ついには「自分が神に呪われても良い」つまり神に誓って「イエスなど知らない」と彼らの問いに強く否定をする。するとそのとき鶏が啼く...。

ペテロは主イエスと一緒にいたときに、主イエスの弟子であったことを誇らしげに思った。弱い人々と共になる主イエス、病気や悪霊につかれた人々を癒される主イエス、当時の宗教的エリート、ユダヤ社会主流派に対して真っ向から彼らの間違いを指摘する主イエス。田舎出身の、というよりむしろ、ガリラヤという当時のユダヤ社会から差別視されていた地域の、貧しい漁師だったペテロにとって、主イエスの弟子となり、その力を間近で示されることは彼の誇りだった。あたかも「主イエスの力」は「自分の力」であるように勘違いをした。だから「一緒に殺されるようなことがあっても」と誓ったのだ。誓いは嘘ではなかっただろう。しかしそれは無意識だとしても「主イエスの奇跡的な力」に期待していたからこそ、堂々とそんな大それた誓いができた。
(こうした感覚は例えば高性能・高級車を自分の技術も省みず乱暴に運転する人や市民から委託されている権限を自分の力と勘違いしている官僚や政治家と似ている。だから「俺は悪くない」と元官僚・某公団責任者は「誓って」言えるのだ。)

話しは変わるが、村上春樹の小説には象徴的に、むしろメタファー(隠喩)として初期三部作には「羊(男)」や「ねじまき鳥クロニクル」には「ねじまき鳥」という架空の動物が登場する。そしてその動物たちによって、主人公は様々な転機、キリスト教的にいえば「カイロス」(ギリシア語:実存的時間・その人の人生に決定的な経験。例えば父が倒れた日のボクの一日は普段の時間の進み方とは明らかに異なっていた)を迎える。「クロニクル」は「年代記」と訳され、これはギリシア語のもう一つの時間を表す言葉「クロノス」(連続的時間、計測可能な時間、車の車名「クロノス」は「速い車」の意と思われる)を語源とする。つまり村上の「ねじまき鳥クロニクル」は「カイロス」(個人の実存的問題)と「クロノス」(時間・歴史・家族的歴史に縛られている人間の問題)がメタファーとして流れている。そして面白いことに、村上は小説を書く時に、前もって概略的な計画なしに、書き始める。つまり結末が用意されないまま、この小説は書かれ(もともとは短編)、それが後に3巻からなる大著へと成長していった。

今日聖書を読んでいて気がついたのは、村上の架空の動物,それぞれの人生の決定的な「時」に啼く「ねじまき鳥」のイメージは、このペテロの否みの物語からのヒント(或いはメタファー)ではなかったか?ということであった。

ボクらもクロノス的なもの(歴史・社会・時間・ときに家族の歴史・因襲)に囚われている。しかしペテロがそうであったように、神様は「私」に対し決定的な「時」を与える。その時を、鶏の啼き声を、聴き逃したり、聴こえていながら無視してはならない。たとえ、それが「辛くとも」である。

ペテロは聴き逃しはしなかった。だから鶏の啼き声を聴いた時、泣き崩れたのだ。そしてその後のペテロの生涯について、本当の意味の強さを知ったペテロについて、私たちは聖書からも、また初代司教をペテロとしていローマカトリック教会からも知ることが出来る。人生に置いて「鳥が啼く」ことは、決して不幸なことではない。 20031118,106,1,森有正のこと。,1,,今日も?ちょっと難しいはなしである。ボクには決定的な影響を与えた書物・人物がある。神学者・牧師は別に置き時間的に並べると、第一に森有正、第二に吉田類子(写真家)、第三に大江健三郎(あとはユージン・スミス/写真家、S.ヴェーユ/哲学、同世代の重荷を担う者としての村上春樹/文学者、林竹二/教育哲学、谷昌恒/教師)である。

森有正との出会いは本当に偶然だった。予備校に通っていた頃、ボクは国語講座などによって読書に開眼していた。(不思議な事にある大学教授の始めたこの予備校(もとは塾)は、講師に現役大学教授が、またその頃は未だ大学非常勤の若い研究者が授業をしていた。下手な大学より有能な先生たちが予備校生に学問の扉を垣間見せてくれた。)

そんな訳で、ある日いつものように川崎の古本屋に足を運んだ。新書の棚にフランス文学・哲学者?の森有正の「生きることと考えること(講談社現代新書)」があった。「あぁ、そう言えばどっかの大学の国語の問題にこの人の文章が出てたなぁ。」と思い、あまり積極的とは言えない、はっきり言えば受験のために、この古本(150円)を購入した。

しかしこれが良くも悪くも「運の尽き」で、ボクは森有正の文章、また彼の思想にとらえられる。その新書を購入して後、森著作の2〜3冊目ではじめて森の背景を知る事となる。森の父が改革派(日本基督教会)の主要な牧師であった事(若くして亡くなっている)、彼が東大の仏文教授の椅子を保証されながら、留学先のフランスに数十年留まり客死したこと(東大との約束は1年だった)、そして森の多くの著作がそのフランスでの内的自己変容から過去の日本にいた頃の森の文章とはまったく異なった文学的色彩を含んだ文章をフランスからポツポツと雑誌等に書き始めたものであったこと。それが自分の手元の書物である事などを知った。これも神学生になってから知った事だが、日本の代表的な説教者加藤常昭牧師にも森は大きな影響を与えている。また文学者大江健三郎にもやはり影響を与えている。

森の中心的な思想は「体験」と「経験」の区別にある。人は誰でも人生の中で色々な出来事に出くわす。例えば2人の人がいて同じ出来事に出くわしたとする。しかし一方の人は出来事を自分の中で思索し蓄積することなく、まるでなかったことの様に扱う。こうした態度を森は「体験」と呼ぶ。「経験」とはこの逆の行為で、自分の出くわした出来事を自分のものとして思索し蓄積していく態度、これを森は「経験」と呼ぶ。そして一人の人の人格とはこの「経験」の蓄積に他ならないと定義する。換言するならいくら多くの出来事に出くわしても、それを自分の中をただ通り過ぎるだけの「体験」にとどめるなら、その人の人格は成熟する事は出来ない。それは頭がいいとか悪いとか、社会的に高いとか低いとかの問題ではない。そしてある意味で啓示的である「経験」は象徴的な意味で人を生まれたところから出て行くこと「冒険」へと促し、「冒険(経験)」の蓄積は、自分の中で成長し自分に対して大きな「変貌」を与える。

19才だったボクは、この森の思想に心酔した。
しかしその頃、ボクは森の言っている事を本当には理解してなかったのだと思う。自分の人生の歩みを進める中で、ある時期、森の思想は本当にボクを苦しめた。というよりボクが森の思想を判っていなかったから、ボクは苦しんだのだと思う。しかしそれでもボクは森から離れる事が出来ず、「経験」の地平で迷いながら、躓きながら、足を進める事になる。それはしんどいことだが、やはり彼の示した事は間違っていなかった。

森有正はキリスト者である。しかしだからといって、キリスト者向けに書かれた著作を除けば、彼の著作に表立ってそのことが示されていることは少ない。(森有正の先生はユマニスト(人間主義者?)の渡辺一夫だった。大江健三郎は高校生のとき渡辺に心酔して、渡辺に教えて貰う為だけに東大を受験した事は有名。) しかし彼の思想の根底に神の支えがあることは明白である。森は聖書をほんとうにそのまま信じ、またカルヴァンの「キリスト教綱要」を毎朝読んだ。自分の罪深さにうつむいて目覚めた朝、「神様が生きている、神様に赦されている」ことに勇気を与えられてその日その日を生きた。

いまキリスト教書も本屋の隅に追いやられ、また森の著作も重版されることが少なくなった。しかしそれでも、森の著作の輝きが失われる事はない。

※森有正の入門として以下の著作をお薦めします。
 ○「生きることと考えること」講談社現代新書
 ○「思索と経験をめぐって」講談社学術文庫
 ○「アブラハムの生涯...森有正講演集」日本基督教団出版局 20031101,105,1,不平等。,1,,ボクはひきこもりをやめたあと、昼間は神学校に、夜は大学に通った。浪人をずいぶんし引きこもり、その後、牧師になる決心をし神学校に入学した。長く浪人をしていたからとにかく大学は行きたかったが、一方で牧師になり神様に仕えることが主目的で、夜の大学はボクにとって付録的なものでもあった。

結果、大学といってもボクは浪人時代考えもしなかった経済学部に入学することとなった。経済学部で学んだ方はよく知っておられることだが、経済学には大きく分けると近代経済学とマルクス経済学という二種類が存在し、また学校の中でも先生たちが立場の違いを鮮明にしている。

マルクス経済学といっても、先生たちは社会革命をしようなどと考えている訳ではない。ソビエトが崩壊し、「共産主義」という一党支配の計画経済の手法は、不完全で醜い人間には正しくコントロールできないことは明らかになった。しかし、かといって資本主義が本当に正しく、勝利した形かと言えば、それはここ数年、さまざまな形で表出し、しかも表出しても恥とも感じていない、官僚や経済界の騒ぎを見ていれば、決していまの資本主義も正しく働いているシステムとは思えない。(共産党への抵抗を東欧で最初に形にしたポーランドのワレサ元議長は「日本はもっともマルクス・共産主義の成功した国だ」と日本を訪問したとき言った。それは企業と労働組合が共同するという世界でもまれなシステムや、自由民主党の長い政権支配のことを指していたのだろう。)

話を戻そう。マルクス・レーニン主義は「人間は必ずよく発展していき大したものだ」ということを前提にして共産主義を押し進め、歪んでいった。しかしもともとの発案者であるマルクス自身は決して悪意でこのシステムを考えた訳ではない。マルクスは「貧しい者と豊かな者の差がなぜこれほど大きいのか」と真剣に考えた(マルクスはある時期は牧師にさえなろうと神学校に入学していた)。その思い自体は、いまのボクたちの時代でも大事にしなければならない。

自由主義と呼ばれる経済学では「平等な自由競争で、がんばった者が勝った」のだから、「貧富の差は当然だ」という立場に立つ。しかしマルクスさんは言う、「競争といっても、あなた方の言う競争は、強い者は弱く貧しい者より最初からスタート位置が前の方で走り始め、そしてゴールは同じだという。それってずるいんじゃないの?それで賞品を独り占めして『これは自由競争だから』はないんじゃない?」
マルクスはそのことを理論的に明らかにした。マルクス経済学の一番の貢献はその部分である。そして「平等な社会」を目指そうとする。それが共産主義であった。

貧富の差があって良いわけはない。修正資本主義・あるいは経済政策論と言われる分野はその差を資本主義的になんとか補完しようとする。経済・社会的に国や役所が弱者を救済するということはもちろん大事だ。しかしこれは資本主義も共産主義も同様の過ちをもっているが、そういった救済・補完の意味と、いま軽々しく子供でも使う「平等」とは意味が異なる。人権や存在の尊さを否定する意味ではないが、あえて誤解を恐れずに言うなら「人間はもともと不平等な者」なのだ。それぞれスタートラインが違う。「何で自分だけこんな足かせを負わされるのか」とも思う。しかしどうしてかは判らないが、ときとして神様はそれを「よし」とされる。

人間はスタートを同じにし、そして競争しようとする。
しかし神様の考えは人間とは異なる。「スタートが違っていいのだ、能力が違っていいのだ、ゴールが遅いのかもしれない。途中で倒れるのかもしれない。しかし私はあなたが見た目には遅いとしても、本当にがんばって走っていることを知っている。結果は小さくてもそれは結果が大きい者以上に、あなたが自分の足かせでいじけることなく、走り通したことを知っている。」聖書の神様はそんな風に私たちの存在を見ている。そして一方で神様は私たちに問うのだ「そういう私がいて、私が伴走することを知って、では、あなたはあなたの足かせを(あなたに与えられた人生を)どんな風に走るのだ?」

今日、朝読んだ聖書は以下のように語る。
また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(黙示録14:13)

神様は「労苦を解かれ」「報われる」と約束される。世の中は平等ではないかもしれない。しかしそこに囚われているうちには、たぶん私たちに本当の自由はない。 20031017,104,1,障害を担っている方への配慮。,1,,現在矢田部は鬱病のために仕事が滞っており、礼拝メッセージは医者のアドバイスもありだいぶ制御している。二十歳位の頃、あることが原因で引きこもりを始めてから、かれこれ16年近く過ぎようとしている。普通、僕等が考えることは、時と共に病気が良くなっていく、そのような期待をもって毎日を過ごす。言い方を変えれば、もし初めから病状がよくならないことが明確であるなら、人なかなか生きていくことに希望を持つことは出来ない。ある種の病気に比べれば、大したことのない引きこもり・鬱病という病も、16年続き、しかも病状が悪くなる一方ならば、大した病気でないとは言え、なかなか辛いものがある。何よりもそれは今以上に良くなる、あるいは完治するという保障と期限が約束されていないからだ。

「しかし」とボクは最近考える。僕が潮来教会に赴任してから、友人も含め何人かの方々が天に召されていった。ある人は非常に過酷な状況の中で闘病をし、またある友人は自ら命を絶ち植物状態に近い形で10年近く闘病をした。

今日、ボクは朝から体が言うことを聞かないほど、体調が悪かった。夕方には何とか取り直したが、体調が悪かった昼間には、こんなことが悪い方向へ一生続くのならば、いっそ早く天に召された方がましだと思いつめていた。

しかし、先の人々に比べれば、僕の苦しみなど取るに足らない。悶々とする苦しみの中でそのことに気づいたとき、本当に心が動かされた。そうした苦しみにある人々の入院する病院に足を運んでいたとき、また植物状態の友人の葬儀に参列したとき、ボクはそうした苦しみに対して、本当の意味で少しでも共感を、少しでも痛みの共有を出来ずに、自分勝手な事柄の理解で悲しんでいた。

話は変わるが、お気づきの通り、牧会日誌のFont(文字)が以前よりもかなり大きなものに変更した。それは視力があまり良くない方々に対しての、せめてもの配慮である(ご自分のPC設定でも対応できるのだが、なかなか初心者には難しい。だから字を大きくした)。本来は盲目の方のために、このHP自体もPC音声ソフトで読み取りやすい様な仕様にする必要がある。これは元捜真教会のM兄がHP(http://www.morikun.net/E-it/WWW.html)で強く主張している。M兄の主張は基本的に正しいと思う。ただ一方で潮来教会がそうした(特に盲人の)方々への配慮したHPに対応できていないのは、作った当初、ボク自身にそうした知識がなかったこと、そして障害者の方に配慮する一方で、健常者にとっても見やすく受け入れやすいHPを製作する必要があり、ボク自身の中ではその葛藤が大きい。HPの構成の仕方ひとつ、全体のデザインひとつで、読んでもらえる文書も、読む気がなくなることがあるから。(最近盲目の方への読み上げソフト精度が向上して、画面分け/フレームにもある程度対応できるようになっている。それでもそうした障害者の方にとってうちの教会HPが読みにくいことは間違いない。参照IBMバリアフリー(http://www-6.ibm.com/jp/accessibility/))

誰でも受け入れることが出来る教会、誰でも見ることの出来るHPを作る必要はある。しかし一方でインターネットに限れば、対応のしやすい盲人の方々へのサービスやソフトはかなり開発されているが、そうでない方々への対応は非常に遅れている。教会はそのことも含めて対応する必要があるだろう。しかしその対応は単に便宜性の問題だけではなく、実際の技術はともかく、本当にその障害者の方々の側になって配慮することが出来るか、共感する姿勢をもてるかかっている。本当に共感することは人間には出来ない。しかしその姿勢・志向をもつことを神様は明らかに望んでいる。(良きサマリヤ人の譬え「だれが隣り人になったと思うか」「行って同じようにしなさい。」(ルカ10章))技術がいかに進歩しようとも、そこに心がなければそれは生きた行為とはならない。

最後にある教会での障害を持つ方の言葉を紹介して終わりたい。礼拝堂が2階にあり簡易エレベーターを備えたその教会に通うその男性はこんなことを口にしたという。「バリアフリーとは本当に障害者のことを考えたものなのだろうか。教会に十分に自分を運ぶ能力の人がいるのならば、エレベーターは必要があるのだろうか?それはむしろ健常者と障害者が共に生きていくことを阻害しているではないか?」これはエレベーターの是非よりもボク等の心の態度のことを問題にしている。

以前、神学生の頃、実習教会で車椅子の女性を抱き上げて、教会の中にお連れしたことがあった。彼女は親しみやすい明るい方なので僕は思わず「どこに置いたら良いだろう?」と口にすると、彼女は冗談まじりに「私はものじゃない。ちゃんと人間扱いしろ!」と言葉を発した。いまでもボクはその言葉が耳から離れないでいる。

聖書のゲラサ人(今で言う統合失調症/分裂病)の物語で、主イエスはゲラサ人と出会うことを目指して船で向こう岸に渡った(マルコ4〜5章)。それは弟子の漁師たちの恐れる嵐をあえて超えてである。主イエスは病を治すという技術的なことではなく、何よりもゲラサ人と出会おうと嵐を超えて行ったのであった。私たちに必要なのは、そこから学ぶことは私たちそれぞれの限界を含めた嵐を出来うる限り超えて、出会いを目指すことであろう。
(睡眠薬を服用した後、書いた文章なので支離滅裂な部分はご容赦下さい。)

※追記:私たちの教会は、障害やトラブルを抱える方々と共に神様に出会いたいと願っています。以下はそのための技術的なものです。

1.潮来教会では礼拝堂が2階なので身体にトラブルを抱える方のために小型エレベーターの完備しています。

2.耳の聞こえにくい方のために礼拝を礼拝堂内FM放送と受信機を用意しています。

3.対人恐怖や精神的な障害のにより集団の礼拝が苦手な方のために、1階にドアのある個室を用意しています。(FM放送での礼拝への参加ですが。)

4.まだ以下はボク自身の頭の中での試行段階で将来的な課題です。神学生時代、寝たきりに近い夫妻宅でアルバイトをしていたことがあります。夫妻は礼拝には出席できませんでしたが、教会のために心から祈っておられました。そうした方々と共に礼拝に与り、また聖餐を共にしたい、というのがボク自身の希望です。

そのなかで考えているのが自宅療養(寝たきり等)の方のために、ご自宅にインターネットPC環境が整っていれば、ネットを通してオンタイムでの音声中継(ブロードバンドなら映像も可能ですが...)をすることを考えています。(意外とこれはやり方と今時のPC・ネット環境さえ備えていれば簡単な技術です。他の教会の方でこの方法に興味のある方はメールを下さい。また先のM兄のサイト内(http://www.morikun.net/E-it/live.html)にもネット礼拝中継について詳しく書かれています。) 20031015,103,1,出会い系サイト。,1,,携帯電話、あるいはインターネットの出会い系サイトでの事件が後を絶たない。ボク自身も最近、ショートメッセンジャーというインターネットの新しいソフトに興味を覚え、その結果、そのメッセンジャーソフトの出会い系サイトと出くわしたことがあった。少なくとも大手プロバイダが管理するそのサイトは、携帯電話の出会い系サイトよりもあからさまにセックスを扱ってはおらず、インターネット上で恋人・結婚相手を探すといった趣が強かった。(勿論、その背景にセックス、あるいは有償セックス/売春を匂わせている文章もあった。)

ボク自身はそれを見ながら、またそのほかの事件報道を聞くたびに、単純にそうした出会系サイトに依存する人々を非難する気にはなれなかった。もちろん援助交際/売春や既婚の上で他人とのセックスは犯罪的・背任的な行為だと思う。ただ、その背景には人と何としてでも繋がりたい、繋がっていることを確認したい、という隠れた欲求があると感じる。そして残念なことに、上述のまだましな出会い系サイトにしても、本当の人との出会いというよりは、条件付けを前提として、つまりお金や容姿や社会的ステータスを相手が持っていて自分にその価値あるものを提供してくれることを前提として、人と出会おうとする。出会いを確かに望んでいはいる。しかし、彼等はそこで大きな勘違い、あるいは問題のすり替えを行なっている。条件を前提とする交換は、出会いではなく売買行為だ。それは本来の「出会い」ではない。

こうしたことに思いを馳せていたときに、心に湧き上がってきたのは北海道家庭学校の谷昌恒先生のことだ。現在は児童自立支援施設(旧教護院)と呼ばれるこの学校は一人のクリスチャンによって戦前に立てられ、戦後しばらくして、谷先生が校長となった。この学校はいま話題になっている10代の犯罪を犯した、あるいは犯す可能性のある若者を教育する施設である。この施設に入ってくる少年たちはいわば本当の対人間との出会いを経験しないまま、犯罪に走った者が多い。本当に自分を愛してくれる人間などいない、という経験は、結果的に他人を傷つけること、他人を裏切ることを容易にさせる。

谷先生はこうした少年たちと真正面から対面した。彼等は何度となく谷先生との約束を裏切る。少年院のように鍵のかけられた施設ではないから家庭学校から逃亡する少年がいる。その少年が戻ってくると谷先生はよく話をし、少年も反省をして「二度とやらない」約束をする。しかし心が傷つき、本当の出会いを学んでいない少年は、その谷先生との心からの約束を誘惑に負けて破り、また逃走を何度も繰り返す。谷先生は少年たちが約束を破り逃走を繰り返す度に、落胆し、男泣きに泣いた。しかし谷先生がこうした経験から、たしか以下のような意味のことを書いている。「少年たちが自分との約束を破るのは、成長の過程で少年たちが幾度となく大人から裏切られてきたためだ。だから彼等にとってその大人の代表である自分は何度だろうと、本人が本当の出会いを、(条件づけされることなく)本当に信じられる人間がいることを学べるまでは、自分は裏切られ、涙を流すことをいとわない」(ここでは「出会い」という言葉を話の流れからボク自身が選んでいるが、谷先生はしばしば「愛」という言葉を使っていた。)

問題のある少年たちを、あるいは問題のある大人を精神医学専門家に委ねるのは簡単なことだ。精神医学はいまは学校でちょっとした問題行動をする子供にも病名を付け、治療行為をすることは出来る。しかしそれだけでは不十分なのだ。責任を専門家だけに押し付けてはならない。彼等が治療を受け(時には必要もない治療を)、帰っていくのは普通の人間の構成するコミュニティーなのだ。彼等が本当の意味で健やかになっていくこととは、薬や精神療法の助けだけではなく、自分のコミュニティーで本当の出会いを経験すること、自分にがっぷりよつに組んで愛してくれる人間と出会うことである。

世の中の事件が我々大人に問うているのは、「あなたは自分のコミュニティーで、子供たちと、また出会う人たちと、本当の出会いを果たしていますか? それが面倒なものであっても、ときに自分が傷つくことがあっても、その責任を果たしていますか?」ということだろうと思う。何も大げさなことをする必要はない。ただ相手と心から出会い、そして心にかけ続け、一緒に痛むことである。

バプテスト教会に伝統的に継承されてきた「教会の約束」の一節を思い出す。
「われら共に兄弟のいつくしみをもって歩み、あいたがいに気をつけ、常に互いの喜びをよろこび、互いの悲しみをあわれみて共にかなしむべし・・・・教会を人によりて成れるものと思わず、神によりてなれるものと信ずべし。」
教会とは教会の中にとどまる訳ではない。我々は礼拝の最後の祝祷(祝福)によって教会がそれぞれ個人を通して世に派遣されるのだ。(連盟の藤田英彦牧師は「祝祷」を「派遣」と言い換えていた。) そしてその世での出会いは「神によりて成れるもの」と信じたい。教会はそうした出会いを担うことを神から委ねられている。なぜなら主イエスはつねに自分から逃げ出してしまう我々と傷つきながらも出会って下さったのだから。 20031003,102,0,モノの魔力,0,, 現在、わたしが使っているノートパソコンはちょうど3年前に購入しました。12.1インチの小型なので、持ち運びにも便利で重宝しています。わたしの持っているパソコンはこの1台だけです。
 3年も使い続けているので、愛着もわいているし、まだ当分の間は使い続けるつもりでいたのですが、それも難しくなってきました。というのも、液晶画面の上から下まで一本の縦の白い筋が入るようになってしまったのです。最初は、一本の白髪くらいでしたが、現在はその筋が5本分くらい(幅1ミリ)の太い縦糸状になってしまいました。たった1ミリなのですが、これがけっこうわずらわしいのです。数字の1やアルファベットのIがこの縦線の中に入ると消えてしまいます。その他の文字でも一部が欠けると、とても読みにくくなります。電気屋さんに聞いたら、液晶画面を取り替えるしかないが、けっこう高くつくので、買い換えたほうが良いとのことでした。
 パソコンが壊れているわけではなく緊急性はないのですが、パソコンの買い換えを検討し始めました。3年前と比べると、安いパソコンでもスペック(性能)は一段とアップしています。優柔不断なわたしは、またしばらく悩むことになりそうです。カタログを集めて性能を比較したり、価格コムのサイトで値段や人気を調べたり、・・・。あまり時間を使うべきではないと知りつつも、少しでも自分の条件に合ってしかも安い値段で買おうとすると、けっこう時間を費やすことになります。
 でも今回はそのことであまり時間を使うまいと思っています。しょせんは「モノ」なのですから・・・。さほど重要でもないことにわたしたちの関心を向け時間を費やさせようとするのも誘惑の一つです。きょうも主の祈りの「試みにあわせず、悪より救い出したまえ」を心込めて祈ります。
20031001,101,0,ライフライン?,0,, 先週の金曜日から、インターネットがつながらなくなり、自力で解決できそうなことをいろいろトライしてみたのですが、いっこうに改善しませんでした。Yahooに電話したら、回線の問題だということで、NTTに来てもらいました。原因は電話線の引込み線の不具合でした。引込み線を新しいものに取り替える工事をしたら、復旧しました。
 コンピューターを別の場所に持っていって接続してメールを読むことは出来たのですが、自宅で使えなかったのでとても不自由しました。あらためて気がついたのですが、ネットのつながらない状況は自分にとって、きわめて不自由なものとなっているということでした。さまざまな連絡をEメールで行なっていますし、ネットを使っていろいろな情報を手に入れています。好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちの生活はインターネットに大きく依存するようになりました。水道、電気、ガスだけでなく、インターネットもライフライン(生活に無くてはならないシステム)になりつつあります。
 でも、ときどき思うのです。これらの文明の利器はとても便利なのですが、もろ刃の剣だな、と。これらの手段は使うものであって、支配されてはならない。使っているつもりでいても、いつの間にか使われてしまわないように気をつけねばならないと思いました。
 人間として本当に必要なライフラインは、静寂の時を持つことの中で保たれていくような気がします。わたしもコンピューターやその他のメディアを離れて、神様の前で静まる時間を確保する必要を痛感しています。
 
20030920,100,0,恵みの時,0,, この牧会日誌を楽しみにしておられるという声をお聞きするので、できるだけまめに書こうと思っています。りっぱなことを書こうとすると、筆がすすまないので、書くほうも気楽に書きたいと思います。
 潮来教会では、土曜日の朝、早天祈祷会をしています。けさはUコリント6章を読みました。1節に「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」とあります。わたしたちは、与えられている恵みには気づかずに、足りないと感じることばかり意識しがちです。しかし、あらゆる面で自分の納得のいく仕方で満ちたりる状況が与えられるということは無いでしょう。仮にそのような状況が与えられたとしても、それが本当に幸いなのかどうかは、わかりません。今、どんな状況であれ、わたしたちは、自分の力で生きているのではなく、神様の恵みによって生かされていることを忘れないでいたいものです。「今や、恵みの時」(同2節)です。
20030908,99,0,気になることば,0,, 最近「車上荒らし」ということばをよく見聞きする。初めてこのことばを見たときには、意味がわからなかった。やがて、それが駐車してある車の中の物を盗むことであることがわかった。それならば「車中荒らし」、あるいは「車内荒らし」と言うべきだろうにと感じた。「車上荒らし」だと「車の屋根に乗って屋根をへこませるいたずら」のようなイメージがわく。しかし、わたしのイメージとは関係なく、「車上荒らし」ということばが定着して用いられている。たとえば靴の中に履いても「靴下」というように、ことばは一度定着すると、たとえ違和感を持つものであっても、広く用いられるようになる。
 しかし、明らかな間違いもある。このたびの総裁選に立候補した藤井さんが「小泉さんは耳ざわりの良いことは言うが・・・」という表現をした。「耳ざわりの良い」という使い方は明らかな間違いである。「耳ざわり」は、「耳障り」であって「耳触り」ではない。目障りと同じように、否定的な意味しかない。誰も「目ざわりの良い」などとは言わないであろう。この間違いは、「耳障り」を、肌触りや手触りと同じように「耳触り」の意味で使ったことから生じたのであろう。しかし、この間違いは、けっこう定着?してしまっている。そして、その一因を作ったのが、口語訳聖書であると考えられる。テモテへの第二の手紙4章3節に「耳ざわりのよい話」ということばが出てくるのである。これは誤訳というより、日本語の使い方の間違いである。ちなみに新共同訳聖書や新改訳聖書では「自分に都合(つごう)の良いこと」と訳されている。藤井さんの間違いが口語訳聖書に親しんでいたからだとは思えないが、間接的には口語訳聖書に責任があるのかもしれない。
 しかし、藤井さんが総裁になって使い続けると、この「耳ざわりの良い」ということばも、そのうち定着してしまうのだろうか。国語辞典にも登場するかもしれない。しかし、たとえそうなったとしても、わたしにとっては「耳ざわりの良い」ということばはやはり「耳障り」である。

20030903,98,1,沖縄の夏休み〜Returns。,1,,
みなさん、お元気でしょうか?
残暑お見舞い申し上げます。
ボクらはこんなところで休日を過ごしています。

9/1南部玉城村「浜辺の茶屋」にて→ http://www.nextftp.com/bowbow/hamabeno-chaya.jpg
9/2北部本部町瀬底島「瀬底ビーチ」→ http://www.nextftp.com/bowbow/sesoko-jima.jpg

あす、鹿嶋に戻る予定です。
20030901,97,0,きょうは防災の日,0,, きょうは防災の日。今からちょうど80年前のきょう、関東大震災が起こりました。古い話ですが、わたしにとっては他人事ではありません。なぜなら、わたしの父の父が亡くなった日でもあるからです。わたしは父方の祖父を写真でさえ知りません。わたしの父(当時11歳)にとっては、このことによって信州の親戚に里子に出されることになったわけで、その後の苦労の日々の始まりとなった日です。しかし、震災がなければ父はキリスト教と出会うこともなかったでありましょうし、牧師になることもなかったでしょうし、わたしという人間も潮来教会も存在しなかったでしょう。
 もちろん、だから震災が良かったというのでは決してありません。しかし、人間には悲しみや痛みとしか思われない出来事からも、神は不思議な導きを与えてくださいます。

 究極的には神が世界を支配しておられると信じるからこそ、わたしたちは希望を持って生きることができます。たとえ、今、悲しみや痛みの只中に置かれていても、あるいは(信仰者でさえ)個人としての人生がハッピーエンドで終わらないとしても、そのことは神から見捨てられたしるしなのではないことを思い起こしたいと思います。たとえ人間に神の御意志を知り尽くすことは出来なくても、この世界は愛の神が支配しておられるのです。
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」(コヘレトの言葉3章11節、新共同訳)

20030814,95,0,妙な天気ですね,0,, 妙な天気が続いていますね。けさの新聞によるとこの夏は世界各地で異常気象が発生しているそうで、その原因としては人為的な理由が考えられるとのことでした。
 暑すぎるのも困りますが、「暑いですね」というあいさつを交わせないというのも淋しいものです。海の家とかビアガーデンとかは大打撃でしょうね。天気予報では今週いっぱいはぐずついた天気が続くとのこと。夏休み中の娘たちもなんとなくつまらなそうです。

 先日、この涼しさを利用して?書斎の大整理をしました。今までは本棚の本の前にさらに本が横積みになっていたり、カセットテープやら何やらが並んでいて、本を利用するのがとても困難でした。要するにモノが多すぎるのです。本を捨てることはできないのですが、ふだん使いそうもない本は別の部屋に移したり、今後利用しそうもない資料などを処分したりして、ようやく本棚を本棚として利用することができるようになりました。
 今の日本では普通に生活しているだけでもモノはどんどん増えていくので、何もしなければモノにうずもれてしまいます。しかし、モノとの格闘に多くの時間を費やすのは何とも残念な話です。ふだんから意識してシンプルな生活をしていく必要を感じています。「無くてならぬものは多くはない」という主イエスのことばは、日常的な生活にも当てはまるのではないかと感じたことでした。
20030804,94,0,暑いですね,0,, ようやく梅雨が明けました。エアコンの好きでないわたしもさすがにこの暑さだとエアコンを使います。午前中は、窓をあけて仕事をしていましたが、外気が熱風になり室温も32−33度になってきたので、さすがに今は窓を閉め書斎だけエアコンを使っています。しかし室温は28−29度になるようにしています。湿度が下がるのでこの温度でわたしには十分です。これ以上冷やすと後で体がだるくなります。
 人によって快適と感じる温度は違うので一概には言えませんが、この時期は「何もここまで冷やさなくてもいいのに」と感じる場所が少なくありません。地球温暖化のことを考えると、冷房も必要最低限にする必要があります。
 主イエスは「あなたの隣人を愛しなさい」と言われました。その隣人は現在わたしたちが直接接する人々だけでなく、今同じ地球に住みながら真夏にエアコンのない生活をしなければならない人々、そして未来の人々をも含みます。それらの隣人に少しでも良い環境を提供するために、わたしたちも身近でできることを心がけたいと思います。 20030802,93,0,教会キャンプ終わる,0,, 関東地方もようやく梅雨明けですね。
7月31日から本日まで、教会キャンプが行われました。去年と同様に、関東地区の諸教会の方たちと一緒にキャンプをしました。場所は信州新町というところです。幸い、現地では好天に恵まれ、とても楽しいキャンプをすることができました。
 潮来教会は、地理的に他の諸教会と離れているため、ふだんは直接他の教会の人たちとお会いする機会があまりありません。このようなキャンプを通して、大人もこどももいつもとは違った経験をすることができました。わたしの二人の娘たち(小6と小3)もとても楽しかったようで、「来年も是非行きたい」と言っています。
 準備をしてくださった方々ありがとうございました。 20030721,92,0,Kさんを天に送る,0,, 入院中であった教会員のKさんが19日(土)天に召された。1週間ほど前にお見舞いしたときは、「元気」とはいえないまでも、笑顔で「ありがとうございます」と言ってくださっていたので、わたしは徐々に良くなるだろうと感じていた。亡くなった日も、直前まではご主人とお話ができる状態だったそうである。しかし、突然召されてしまった。20日の午後、教会の皆さんの寄せ書きを持って、お見舞いにいこうと思っていたのに・・・。
 今となれば、この日を予想していたかのようであるが、4月にKさん宅で開かれた家庭集会のときに、Kさんは「わたしは行く先がわかっているから、いつ召されても大丈夫なの」という趣旨のことを言っておられた。Kさんが亡くなったことは、やはりとても悲しい。ご家族にとってはなおさらであろう。しかし、「わたしたちの国籍(本国)は天にある」(新約聖書フィリピの信徒への手紙3章20節)という聖書のことばを信じておられたKさんは、今、神様のみもとで新しい命に生かされていることを信じる。 20030623,91,0,いろいろなこと,0,, 昨日は、いろいろなことがたくさんありました。

@エレベーター試乗式
礼拝前に教会に設置されたエレベーターの試乗式をしました。祈りのあと、テープカットをし、小野一良名誉牧師が車椅子に乗り、央子夫人と教会創立以来のメンバーの塚本うたさんが同乗して2階にあがりました。エレベーターの設置は現在の会堂ができて以来の念願でしたが、ようやく実現にいたりました。
A婚約式
礼拝の中で、婚約式が行われました。プライベートなことなので、不特定多数の方がお読みになるこのコーナーでは個人名は控えますが、二人とも東京の或るバプテスト教会に出席しています。
男性の方が、当教会員のご夫妻の長男で彼自身も潮来教会でバプテスマ(洗礼)を受けたので、婚約式は潮来ですることになりました。結婚式は秋に東京のバプテスト教会で行われます。結婚までの準備が祝されますように。
B土屋先生就任式
 これは公的なことなのでお名前を書いてもさしつかえないと思いますが、土屋修二先生の就任式が平バプテスト教会で行われました。土屋先生は伝道者としての最初の3年間を潮来教会で過ごされました。その後関西の二つの教会で牧師として働き、この4月から平バプテスト教会の牧師となられました。潮来からも10人が片道2時間半のドライブをして就任式に出席し喜びを共にしました。先生ご夫妻が平教会の皆さんに愛されている様子をうかがい知ることができ、うれしく思いました。先生ご夫妻の健康が支えられ良き働きがなされることを心からお祈りします。

それぞれ神様の祝福を覚えることができ感謝でした。

一方で、教会員のご家族が重い病で入院しておられます。礼拝後みんなで祈りました。主が癒しの御手を置いてくださいますように。


20030617,90,1,ウィルスをめぐることなど。,1,,先週、某キリスト教関係団体からウィルスメールが届いた。その指摘とばら撒かれたであろう人たちへのケアを望むメールを書いたが音沙汰がない。

PCウィルスについての社会的な反応はずいぶん変化してきている。ウィルス自体も高機能になり、感染して周囲にウィルスをばら撒いても、感染者本人はまったく気づかない様な仕掛けになっている。従って、今回の指摘も本人は「自分のPCにはウィルスソフトは入っている。濡れ衣だ!!」と思っているのかもしれない。しかしウィルスソフトも中のワクチンといわれる新型ウィルス情報をインターネット経由でまめに更新しなければ、何の対策にもならない。

ウィルス対策ソフトが進化してきたために、最近では「ウィルスにかかる奴はキチンと対策をしていないバカ」という感覚がネット社会、特にネットやPC熟達者の間では出てきている。だから感染者によるウィルスのばら撒きが行われて感染したとしても「感染した奴が悪い」という事になる。そしてよく対策している人たち自身は感染することはないから、ウィルスが送られて来ても困ることはないので、あえて「ほかの人たちに知らせる」という以前ならばネットマナーとされたことがなされなくなった。だって「かかる奴がバカ」なのだから。

こうなるとある種の悪循環が起こる。よく対策している人たちはウィルスメールは来ても感染することはなく、結局、PCについて知識的に弱い人たちが被害者・加害者になり続ける。こうしたPC熟達者の態度は私たちの普段の社会でこの頃感じる他者への態度と実によく似ている。

子供のころ、下町に育った僕は、よく名前も知らないおじさんに電車の中で、バスの中で、怒られた。悪いことをすれば、誰であろうと子供を怒る、というのはひと昔まえの下町では常識であった。逆に、人が困っていれば、知っている人だろうが知らない人だろうが、声をかけるのもまた常識であった。つまりみんなが「おせっかい」であったのだ。

私たちの社会はスマートにはなったのかもしれない。しかしウィルスに見られるように、スマートな反面、被害を知りつつ、そこで声を上げない大人の社会になってしまった。

主イエスの聖書での生き方を見るときに「なんておせっかいな人なんだ」と思う。また「なんて余計なことを言う人なんだ」と。しかしその言葉によって相手は生き、また過ちに陥った人たちが、そこから回復する機会が与えられた。主イエスは言う「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」マタイ9:13
そもそも神さまが人となって、人を救うためにこの世に来た、というのが最大のおせっかいである。

がしかし、おせっかいのないところに、ボクは愛もないのではないかとも思う。もちろんおせっかいする側には注意が必要であるが、スマートな中にも真実があるとは、たとえばウィルスに対するスマートな態度に、真実があるとはボクには思えない。

そんな世界はニーチェが夢見た完全人の友情の世界ではなかろうか。人間はそれほど強く完全な存在ではない。

追記:最初の某キリスト教関係団体のウィルスメールは昨日教会の方に団体から謝罪Faxがあったそうである。いま一生懸命対策中とのこと。 20030615,89,1,床屋。,1,,土曜日に床屋に行った。
先週あった墓前礼拝の写真をプリンタで出してみると、自分の髪の毛が如何に長くなっていたかということにはじめて気づいたからだ。

お金もないので、1000円カットを利用していたが、前回、ひどい目にあった。椅子に座ったときからいやな予感がしていた。担当のお姉さんは何とカットの途中、隣の先輩に切り方を教わりに行った...。結果は散々であった。

そんなひどい目にあっているにも関わらず、やはり安さを売り物にしている床屋で髪を切った。
床屋は美容院とは違う、独特のリラクゼーション・スキル?がある。村上春樹氏曰く「男の子はズックを履いて床屋へ行こう」だそうだ。
頭を右に左に、床屋さんに促されるまま、身を委ねるのは前奏曲のようなものだ。中盤にちょっと激しい洗髪があり、その直後にあたかもラルゴのようなタオルで髪を拭く穏やかさ続く。顔そり髭剃りは、影のクライマックスである。床屋さんが熟達していると知らないうちに眠りに落ちるのもこのあたりだ。

という具合に、今回の床屋さんが気持ちよかったわけではない。値段相応といおうか、多少凸凹ではあった。それでもやはり床屋にいった気持ちはした。

床屋に髪を切ってもらっている途中で、思い出したのは、ボクが子供のころ通っていた床屋のおじさんの手の感触だった。上の実況も、そのときの感覚に近い。昔気質の職人だった床屋のおじさんは、子供だからといって決して手を抜かず、また上客扱いしてくれた。そのおじさんの手の感触が、35歳を超えた今もボクの身体に残っていた。
おじさんは中学になるとき、ボクの髪にはじめて分け目をつけ、待合室の椅子に座らせて嬉しそうに写真を撮ってくれた。その後、脳溢血で倒れ、復帰はして髪を切ってもらったが、鏡に映る動かぬ手を見るのが辛かった。 そのおじさんの手の感触である。

ボクは一体、自分の関わる人々にどんな感触を残すのだろうか?と考えていた。
何にしてもサクライのおじさんはエライ人だった。 20030609,88,0,ほんとうの休み,0,, 先週は、何人かの方がご相談に来られた。それそれがご自分やご家族のことで重荷を負っておられる。ご相談の内容にもよっては、ときにはアドバイスを申し上げることもあるが、ほとんどは相手のお話をお聞きする。そして最後に一緒に祈る。クリスチャンでない方が相談に来られることも多いので、その場合には「お祈りしてもよろしいですか」とお聞きする。断られることはまずないのだが、ちゅうちょされる場合は無理強いはせずに、お帰りになったあとわたしが一人で祈る。祈りには力があるからである。
 重荷に関連した聖書のことばがある。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませておげよう」(マタイ11:28)と主イエスは言われた。「休み」とは重荷がただちに無くなることを意味するとは限らないが、主イエスがわたしたちの状況を知っていてくださり、一緒に担ってくださることを信じるとき、慰めと励ましを与えられることは確かである。そして、重荷がわたしたちを主イエスの愛へ導いていくという意味で、恵みへの入り口ともなりうる。
 重荷がないことは楽なことであるかもしれない。しかし重荷が無いことが幸いであるともいえない。重荷があろうとなかろうと、どんなときでも「わたしのもとに来なさい」と招いてくださるお方がいるということは心強い。愛の神がどんなときでも、ほんとうにわたしたちと共にいてくださるということが「休み」のみなもとである。 20030526,87,0,つつしみのある善意,0,, 昨日は水戸伝道所での説教だったので、午後少し足を伸ばして、県北の病院に入院中の方を見舞った。わたしの妻喜美子の知り合いで、ときどき、教会にも来たことのある方である。予想していたよりもお元気で、わたしたちの見舞いをとても喜んでくださった。しばらくお話をして一緒にお祈りして失礼した。見舞って良かったと思った。
 しかし、見舞いがいつでも喜ばれるとは限らないということもわきまえておく必要がある。このことは実際に入院経験のある方々からお聞きしたことであるが、病気の方をお見舞いすることには配慮がいるのである。見舞う側は力づけてあげたいという善意からすることなのだが、見舞われる側にとっては必ずしも喜べない状況のこともある。見舞いに応じることが肉体的にも精神的にも辛い場合があるのである。しかし、相手が善意で見舞いに来てくれることはよく承知しているので、見舞い客に会わないで帰ってもらうということは難しい。だから無理してでも会って感謝の意を表さなければならない。それはけっこうストレスになるのだそうだ。
 もちろん、見舞いを喜んでもらえることも少なくない。そして聖書にも「病気のときに見舞」(マタイ25:36)うことが勧められている。ただし、「自分が見舞いに行けば相手は必ず喜ぶはずだ」と考えるのは思い上がりではなかろうか。見舞いに限らず、相手の立場を考えないで為すことは、たとえそれが善意から生まれているものであっても、結果として愛の押し売りになってしまう。一方、自分の為すことにあまり神経質になってしまうことも問題であろう、人間のすることはいつでも不完全なのだから、失敗を恐れていたら何もできなくなってしまう。要は、バランスである。善意を「つつしみ」という風呂敷に包んで送りたいと思う。むき出しの善意を送りつけることは、しばしば自分の善意を表現することにしか関心のない自己満足のことが多いのだと思う。自戒を込めて・・。
20030505,86,0,結婚20周年,0,, わたしたち夫婦は、本日結婚20周年を迎えました。20年といえば一人の人間が成人式を迎える時であるわけで、けっこうな長さだなと思います。

 しかし、一方で20年はまだ序の口だという気もします。わたしの両親はことしの10月24日に結婚60年を迎えるのですから(満91歳と84歳)。ふたりとも70歳代のときに大病をしたことを考えると今揃って元気なのが不思議なくらいです。父は15年前に脳梗塞で倒れました。当初は左半身が完全に麻痺していましたが、教会の方々の祈りに支えられ本人もリハビリにつとめた結果、1年後にはひととおりのことが自力でできるようになりました。その後も変わらず元気でおります。母は10年前にガンで胃の5分の4を切除する手術を受けました。ずいぶんやせましたがその後はずっと安定しています。最近体力が弱くなってきたことは否めませんが・・・。二人は今、下関のわたしの弟一家のところに滞在しています。5月1日の朝、東京駅の新幹線ホームまでわたしが同行し、あとは二人だけで旅をしました。9日にまた二人だけで帰ってきます。二人そろって元気だということは、本人たちが偉いわけではなくただ神様がいのちを与えてくださっているからなのですが、感謝なことです。

 わたしたち夫婦が二人元気で結婚60周年を迎えることができるかどうかはわかりません。なにしろまだ40年もあるのですから。それに「二人とも元気で」となると確率は低いでしょうね。これから先どんな歩みが待ち受けているのかわかりません。「二人とも元気で」という状況が与えられようと失われようと、すべては愛の神様の御手の中にあるのですから、委ねて歩んで行きたいと思います。しかし、ともかく今は「二人とも元気」ですし、こどもの日でもあるので、きょうは二人の娘たちと一緒に楽しくすごしたいと思います。お弁当を持って公園にでもでかけます。

20030428,85,0,ADSL化に思うこと,0,, つい、最近インターネットの接続をADSLに変えました。ただし無線LANを少し離れたところで使うと、シグナルの強さが不安定で、ときどき「ワイヤレス接続不可」となってしまうこともあります。それでも、常時接続なので電話代を気にしなくても良いことと、つながりさえすればISDNに比べてはるかに高速なので、やはり便利です。IP電話の音質も決して悪くありません。ADSLは、いずれ光ケープル網が整備されるまでの過渡的な方法だと思いますが、それにしてもどんどん早くなっていくのは驚きです。

 このように、いろいろなことが便利になっていくのはありがたいことなのですが、しかしこの便利さに慣れてしまうと、何らかの理由で使えなくなる事態が生じたら、ものすごく不便と感じることでしょうね。わたしも今では、普通のモデム通信の遅さを苦痛に感じるようになっていますから・・・。

 ところで、今年の夏は電力不足が予想されています。暑いときにはエアコンの効いた場所で過ごすことに慣れてしまっている現代人には、真夏の電力不足は非常につらくなるのではないかと思います。いっそ、この機会に、真夏でさえ「長袖のワイシャツ、ネクタイ、背広でなければ、正式ではない」という考え方をやめたらどうかと思います。もし真夏は「半そでシャツ、ノーネクタイでもOK」という習慣がオフィスや役所でも定着するのであれば、この夏の電力不足もあながち悪いことではないのかもしれません。

 夏季の冷房の「効きすぎ」は、地球環境のためにも健康のためにも決してよくありません。そしておそらく、自分(たち)さえ快適であれば良いという生き方が戦争の遠因にもなっていると思うのです。皆さん、この夏は扇風機とうちわを活用しましょう。

20030421,84,1,塩で味付けられたことば。,1,,浪人生活+引きこもり生活が長かったせいか、ボクの背中には何となく悲壮感が漂っているらしい。昔から、駅前を歩いていると必ずと言っていいほど、新興宗教の方々に声をかけられる。
現在牧師のN先生や母教会の青年たちと高田馬場駅前にいたとき、そんな話になり、「じゃあ、ちょっと歩いてみ」と言われ、一人で100mばかり歩くとすぐに数人から声をかけられた。(またあるときには、銀座教文館(キリスト教書店)で古代教父の本をめくっていると、異端的な教会の青年たちに勧誘された...神学生にも見えなかったらしい...)

で、先週火曜日である。夜、鹿嶋のTSUTAYAに行ったときのこと、ビデオを借りて、店の外に出て駐車場に向かった。すると店の方向から若いまじめそうなお兄さんが追いかけてくる。てっきり、忘れ物でもしたかと思ったら、「すみません、貧しい子どもたちの為に募金を集めているボランティア団体です。」とそのお兄さんは声をかけてきた。茨城県鹿嶋市の、夜の10時である。最近のボランティア団体はこんなに熱心なのか?!
そんな訳はない。だって彼の持っているボランティア証明セットは明らかに統一協会のモノだからだ。「結構です。だって不自然でしょ、こんなの。キミは統一協会の方?」「いいえ、違います。」マニュアル通りの答えをして、彼はまた定位置に戻っていった。

たぶん、昼間は戸別訪問でハンカチを売り、夜、数少ない人の集まる場所として、この青年は貸しビデオ屋を選んだのだろう。十中八九、青年は大学生で、都会ではもうみんな統一協会への対応に慣れているので、田舎に派遣されたのだろうか?彼と言葉を交わした感じから、青年がまじめな人だということは間違いない。

帰りの車の中で、いつものことなのだが、彼に何と声をかけるべきだったろうかと考え込んでしまった。人との関係を歪んだ宗教によって閉ざされている彼に、ボクはもっと人とつながる言葉を彼にかけるべきではなかったろうか?と。

それは単にTSUTAYAの駐車場だけの問題ではなく、大きくは私たちの教会にも問われる問題でもあろう。

そして、イエスさまならば、彼に何と声をかけたのであろうか、と最後には考えていた。
20030422,83,0,会衆制,0,,思いがけない方から「ときどきこのホームページを見てます」と言われることがあります。内容の更新が少ないと、がっかりされると思いますので、できるだけ書き込むようにいたします。今回は事務的な案内ですが・・・

教会の定期総会を5月18日(日)に開催します。
教会員の皆さんはぜひご出席ください。

バプテスト教会は、会衆制という教会運営の仕方を採用しています。それは、教会の大事なことは教会員全員で決めるということです。ひとりひとりの存在が大切であるということを形にしたものです。会衆制は衆愚政治に陥りやすいという批判もあります。そのような危険性があることをも踏まえて、会衆制の良い点が生かされる教会でありたいと願っています。 20030407,82,1,誘惑。,1,,戦争はいまだ続いている。
戦争の報道を見聞きしていると、ひとつの誘惑にさらされる。

慈美牧師が礼拝説教で指摘したように、「無関心」というのも誘惑のひとつかも知れない。しかしもっと深刻な誘惑があるように思う。それは「自分が願ったところで、この世の中は変わりはしない」という想いの誘惑である。

この誘惑は戦争の前から、特にバブルがはじけた後、急速に日本中に何ともいえない空気として流れ出した気がする。経済の中に、政治の中に、それは信仰と思えるほど日本人の心を覆っている。そしてこの戦争である。確かに個人の力、個人の声には限界があるのかもしれない。

第一コリント13章には有名な愛に関する聖句があり、その最後で「 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。」と書かれている。ここでいう希望とは単なる人間の希望ではなく、神による希望、自分ではなく神に信頼する希望である。それは人間の愚かさに信頼を置くのではなく、神に信頼を置く。

人間の目に、その行為が意味のない様に見えることが重要なのではない。そのことに囚われている限り、私たちは常に失望するだろう。そうではなく、神さまがどう望まれるのか、人間の愚かしさを超えて神さまがどのような希望を私たちに与えようとなさっているのか、そのことに心を注ごう。

木村公一牧師の「人間の盾」としてバクダットに留まらせているのは、神さまとの対話の中で彼がそのような想いを起こされたからであろう。

もちろん、誰もが木村牧師になる必要はない。しかし自分の置かれた場所で神の希望を見る者として、それぞれが立たせられているのではないだろうか。

そしてボクはこの戦争の中で、日本の多くの教会で、人の目には小さいと見える活動を、神に希望を見て、担っている多くの人たちがいることに本当の希望を見る。 20030403,81,0,Dona Nobis Pacem,0,, アメリカの思惑とは異なり、イラク戦争が長引きそうです。長引けば長引くほど、双方の死傷者は増えることになるでしょう。一日も早い終結を祈ります。でも戦闘が一応の収束を迎えても、それはまた新たなる紛争の始まりになってしまうことでしょう。本当にわたしたちの世界は、今たいへんな状況に入りつつあるのかもしれません。
 きょうの朝日新聞に「人間の盾」としてバグダッドに残っている木村公一牧師のことが紹介されていました。木村牧師は神学校でわたしの2年先輩でした。空爆が続く中、木村牧師の安否が心配です。でも木村牧師の命と同じように、わたしの知らない名もないイラクの人たちの命も、そして(アメリカの政策を支持できないとしても)アメリカの兵士たちの命も大切なのです。ドナ・ノービス・パーチェム(わたしたちに平和を与えたまえ)。
20030321,80,0,宗教的自己絶対化の怖さ,0,, 予想されていたとはいえ、とうとう戦争が始まってしまった。アメリカの世論も割れているにもかかわらず、ブッシュ大統領は事を起こした。アメリカの保守的なキリスト教のグループは、この戦争は聖書的にも正当化されると主張し大統領を支持している。国連のお墨付きはもらえなくても神様のお墨付きがあるからアメリカの行為は是認されるというわけである。しかし自分たちの言動を聖書のことばによって後から根拠づけるというのは順序が逆なのではないか。聖書から神の御意志を聞くというよりも、すでに存在する人間の意志を正当化するために聖書のことばを利用するというこのやり方を取れば、たいていのことは聖書によって正当化することができる。
 ブッシュ大統領の言動からは、「もしかして自分が神に反していることはないだろうか」という畏れが感じ取れない。あまりにも宗教的な自信にあふれている。それが怖い。宗教的な自己絶対化に陥ると自己吟味をすることがきわめて難しいからである。 20030318,79,0,祈り,0,, ブッシュ大統領の宗教は?と問われれば、答えは「キリスト教」です。しかし彼の信じている神がわたしたちの信じているイエス・キリストの神と同じであるとは思えないのです。彼を支持している多くの「キリスト教右派」と呼ばれている人たちについても同様の感を抱きます。むしろ彼らは「アメリカ教徒」なのではないか。彼らの神はアメリカの国家神であって全世界の創造主とは異なるのではないか。ブッシュ大統領が”GOD BLESS AMERICA”(神よ、アメリカを祝福してください)と言うたびにそう思います。敬虔なキリスト者と言われるジミー・カーター元大統領をはじめ多くのアメリカ人のキリスト者がブッシュ政権の政策に異を唱えています。

 もちろん、わたしにすべてが見えているわけではないので、わたしが間違っているのかもしれないということをわきまえた上できょうの日誌を書いています。

 予測はしていたものの、ついにアメリカが戦争開始を決めました。
唯一の戦争回避の道は、フセイン大統領の国外退去あるいはクーデターによるフセイン体制の崩壊しか残されていません。そしてその可能性はきわめて低いと考えられます。もちろんイラクの現状を肯定するわけではありませんが、アメリカの掲げる開戦理由は、「今」戦争をしなければならないだけの正当なものとは思えません。フセイン政権はそれほど脅威なのでしょうか。むしろアメリカのイラクに対する態度が脅威を増幅してきたのではないでしょうか。
 もし、戦争が始まれば、ブッシュ政権が描いているほど、アメリカに都合よく事が進むとは思えません。アメリカの圧倒的な軍事力によって「手負いのしし」となれば、フセインは何でもありの方法で抵抗してくるかもしれません。またこれを機に、世界中でくすぶっていた反米感情が噴出し各地でテロ事件がおこるかもしれません。当然アメリカ支持を打ち出した日本もテロの対象となり得ます。
わたしたちは本当に予測のつかない世界に突入しようとしています。
神よ憐れんでください。全世界を!。
GOD BLESS THE WORLD!
20030317,78,1,「人間の盾」,1,,アメリカのイラク攻撃への態度が明日にも明らかになろうとしている。

自分自身、ひとりのキリスト者として如何にこの問題について対すればいいか、ずっと考えてきた。悶々とするばかりで、余計に体調がすぐれない。

きょう、日本バプテスト連盟のホームページを覗くと、あるページに頭を殴られたような気分になった。木村公一牧師(確か以前インドネシアの神学校に派遣されていた方)が対イラク戦争に向け、「人間の盾」になろうと13日イラクに旅立ったという記事であった。

日本の教会に何が出来ようか、個人に何が出来ようか、という言い方がある。しかしたとえ大きな力になり得ないとしても、自分たちの姿勢を示していく、表していく義務が信仰を与えられた私たちにはあるように思う。

木村牧師の支援については連盟宣教研究所に連絡を。詳しくは日本バプテスト連盟HPへ。 20030315,77,0,卒園おめでとう,0,,きょうは、潮来幼稚園の卒園式が行なわれ、14人のこどもたちが幼稚園を巣立っていった。キリスト教主義の幼稚園だからといって、ことさら宗教教育をするわけではないが、見えない形で撒かれた福音の種がこどもたちの中で生き続けていくことを心から願う。

来年度入園してくる或るこどものお母さんは、ご本人が潮来幼稚園を卒園し教会学校にもしばらく通ったことがあるので、ぜひ潮来幼稚園に入れたいと言っておられた。きょう卒園したこどもたちのこどもが20数年後、入園してくるかもしれない。

信仰をはっきり言い表して教会員となる方が一人でも多く生まれることを願いつつも、一方でこうした息の長い宣教の働きも神様の御手の中で用いられていくことを願う。 20030303,76,0,結婚おめでとう,0,, 去る3月1日、日本バプテスト神学校の学生である田島慶康さんと杉田由利さんの結婚式が横浜の捜真教会でおこなわれた。二人とも神学校での教え子である。特に杉田さんは彼女が在学している4年間毎年わたしの授業を受講したし、2002年度は潮来教会で教会実習をなさった。というわけで、娘を送り出す父親のような気がしないでもなかった。花嫁としてそして伝道者として。二人の結婚そして伝道者としての歩みが神様に祝されることを心からお祈りする。
 わたしの娘たちはまだ小学5年生と2年生なので花嫁の父の役を演ずるのはまだ少し先であるが、それでもその前味をちょっぴり味わった。娘たちよ、あまり急がなくてもいいよ。 20030224,75,1,世界にたったひとつの花,1,,さて、ボクは結構スマップに縁がある。スマップとはあのジャニーズ事務所のキムタクを含むアイドルグループ、スマップである。というか、ボクの聞いているミュージシャンが何故か意外にスマップに楽曲を提供している。
ネット関係の摂食障害の友人の影響もあり、スガシカオをずいぶん前から聞いていた。すると、スマップが「夜空のムコウ」をカバーした。それからスガシカオの悪友、山崎まさよしもずいぶん前から聞いていたが、スマップが「セロリ」をカバーしている。
そしてつい最近である。いつものようにスマスマを見ていた。新曲の「世界にたったひとつの花」のイントロが流れてきた。「???、どっかで聞いたような〜、槇原敬之的アレンジだなぁ〜」とそのとき思った。その予想通り、槇原敬之の歌であった。

槇原敬之は数年前、麻薬取締法違反で検挙され、あげく、レコード会社のSonyとの契約も切られた。一年あまり彼は反省の日々を過ごした後、アルバム(覚醒剤後制作)が3枚リリースされている。
槇原は自分の歩幅の日常を切り取り、それを言葉が聞き取りやすいポップなメロディーに乗せることからファンを集めていた(蛇足だが、彼の音楽を説教学的な視点で見ると非常に勉強になる)。その日常の確かさと価値を語っていた槇原が、あの事件で捕まったことは多少なりともショックであった。罪は罪である。しかし、罪を負った後、彼の言葉は恋愛的日常から人間の生、それは罪も含めた生の日常を、やはりあの聞きやすいメロディーに乗せて歌い始めた。そして彼の生に対するひとつの理解が「世界にたったひとつの花」である。
罪は罪として負っていかなければならないが、一方で罪が明らかになることで、人間の生の深みが出てくる、槇原はクリスチャンではないが、そうしたことが起こるのだなと思わされる出来事であった。

偶然だが「世界に・・・」の歌詞に出てくるのと同じ意味の言葉を敬愛するY先生が仰っていた。

「ひとつとして同じ花はないのですよ。そして同じ種類の花であっても、同じ花はひとつとしてない。近寄ってみればみんなそれぞれ違うし、それだからこそ美しいのです。」 20030210,74,0,四季の変化に感謝,0,, 8日(土)の朝、早天祈祷会のために起きたときは、地面に霜が降りていました。気温はかなり、低かったに違いありません。しかし、祈祷会が終ったときには、すっかり春の日差しでした。気温の低い日は、これからもまだまだ続くでしょうが、季節は確実に春に向かっています。寒がりのわたしには、うれしいことです。
 四季の変化は当たり前のことなのですが、この当たり前のことが繰り返されることがいかに感謝なことでしょうか。しかし、地球温暖化という人為的な現象がこの当たり前のことを妨げようとしています。エネルギーを使いたいだけ使っている某国の責任が大きいことは言うまでもありません。したがってそのようなあり方に警告を発することも大切です。しかし、それと同時にわたしたち自身も小さな節約に努めていきたいものです。神様が創られた世界が正しく保たれるために祈り、具体的に努めることもきわめて信仰的なことがらです。わたしも電気の消し忘れに気をつけなくちゃ。


20030111,73,0,平和が来ますように,0,, 「汝、殺すなかれ」という神を信じているはずのキリスト教国であるアメリカが戦争に走ることがわからないという意見が、朝日新聞の「天声人語」に紹介されていました。主イエスも「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)と言われました。一方、キリスト教の神学者の中には、やむを得ず剣を取らねばならない時もあると主張する人もいます。
 しかし、利己的な理由を隠し、自分に都合の良いことだけを「正義」として掲げ、しかもそのために神の名を利用するということは、いずれの国であれ問題です。かつての日本も「八紘一宇」という「正義」を掲げて戦争に突き進んでいきました。イラク、北朝鮮、アメリカの指導者が自国のためだけではなく、世界の正義と平和のために正しい判断をすることができるよう祈ります。平和が来ますように。

※八紘一宇=太平洋戦争期におけるわが国の海外進出を正当化するために用いた標語 で、世界を一つの家にするの意。(広辞苑より)

P.S. 本日の大学ラグビーは早稲田が関東学院に勝利しました。前半終了間際の関東学院のペナルティーキックが決まっていれば、結末は変わっていたかもしれません。しかし、「たら」「れば」は言っても意味のないこと。今年の早稲田は確かに強かったです。
20030106,72,0,50歳になりました,0,, 昨日1月5日私は満50歳になりました。私たちの教派である日本バプテスト同盟では牧師の定年はないのですが、私の牧師としての歩みは折り返し点を過ぎたかなという感じです。最後まで走るためにはこれからの後半は少しスローペースにしたほうが良さそうです。昨年11月以来のしつこい風邪でますます「薄皮マン」になったので今年は「中肉マン?」を目指します。また、この「牧会日誌」をもう少しまめに?書くつもりです。期待しないで期待していてください。

 PS.予告通り、大学ラグビーの決勝戦は関東学院と早稲田の対戦になりました。マスコミ関係者には早稲田の出身者が多いので、メディアでの取り扱いはどうしても早稲田びいきになるらしいです。さて、結果はどうなるでしょう。 20030101,71,0,あけましておめでとうございます,0,, 11月末に風邪をひいて以来、治らないまま新年を迎えることになりました。
でも、きょうはまずまずの体調で、ようやく風邪も通り過ぎたようです。そんなわけで、久しぶりの牧会日誌です。したがって、「例によって」ことしも皆様への年賀状が届くのはもうしばらくたってからです。
 きょうは、元旦礼拝をしました。教会員ではなくとも、元旦礼拝には欠かさず来てくださる方々もおられます。とてもうれしいことです。また里帰りして久しぶりにお会いできた方々も少なからずおられました。

 ところで、西暦というのは、イエス・キリストの生まれた年を第一年として設定したものです。実際には、その設定が数年ずれていたようですが、意味そのものは変わりません。紀元前をB.C.(Before Christ=キリスト以前)と言い、紀元後をA.D.(Anno Domini=主の年)と言うのはそのためです。世界の歴史はイエス・キリストという人物の誕生を中心にとらえられています。
 今年は、主イエス・キリストの年2003年です。イエスキリストは、かつて地上に生きておられただけではなく、復活なさって今も生きておられます。生きておられる主イエスが皆様おひとりおひとりと共に歩んでいてくださることを覚えながら今年も過ごしてまいりましょう。

 P.S. 天皇杯の決勝戦で、わが鹿島アントラーズが京都に敗れてしまいました。そういうわけで、少し「めでたくない」元日の午後です。
 あすは、わたしが非常勤で教えている関東学院大学のラグビー部が全国大学ラグビー選手権大会で帝京大学と準決勝を戦います。そして、たぶん決勝で早稲田とあたります。また同大学は箱根駅伝にも出場します(こちらは上位入賞は難しそうですが・・・)。関東学院の前身はわたしたちのバプテスト同盟の神学校です。ですからこのホームページをご覧になった方は是非応援してください。さて、あすは、「めでたい」日となるでしょうか。

20021201,70,0,ふれあいマーケット,0,,きょうの午後、潮来教会の「ふれあいマーケット」(ミニバザー)が行われました。
あいにくの雨模様でしたし、水郷マラソン大会のため教会周辺が交通規制をされていたためにお客さんは例年に比べて少なかったようです。わたしは先週からの風邪がなおらず、今回のバザーでは、ほとんどお役に立てませんでした。でも教会員の方々がそれぞれ分担し合って、笑顔ですごしておられるのを見てうれしく思いました。雨の中、レインコートを着て、焼き芋を焼いてくださったN君はじめ男性の方々が風邪を引きませんように。

さて、教会の暦では、きょうは第一アドベントの聖日でした。クリスマスを迎える準備をする期間の始まりです。世界の王として生まれた方は、王宮ではなく、馬小屋で生まれました。すべての人の現実に入っていくことができるためです。ことしも新しい思いで主イエス・キリストの誕生を喜び祝いましょう。 20021115,69,1,我が青春の大戸屋,1,, 今日はCMCC(キリスト教メンタルケアセンター)養成講座で東京まで行ってきた。
帰りに新宿に寄って、使えなくなった自宅スキャナを買うため西口ヨドバシカメラへ。久々の新宿、しかもヨドバシである。(閑話休題。森明牧師がこの向こうの旧淀橋浄水所近くに住んでいた、と知っている人は日本キリスト教史好きか先日亡くなられた関屋綾子女史のYWCA関係者であろう。)
スキャナーはボクの仕事には必須のアイテムになりつつあり、近藤さんのコンサート、大里宣教師通信等で大活躍で、前のスキャナは神学生時代、レポートを書くのに大活躍であった。(授業担当箇所の本をスキャン、テキスト化して、その後徹底的に削ってまとめるという手法。後輩には勧めません。)
 お腹がすいたので適当なお店を探した。な、なんと、ヨドバシ間近に予備校生時代、また川崎時代お世話になった定食屋「大戸屋」があるではないか!! たぶんもともと大戸屋は川崎の定食屋から東京に店舗展開した。はじめはどこの大戸屋も「定食屋」の名の通り、汚い、もとい庶民的な店作りで客は野郎どもがほとんどであった。ボクも大師の教会の青年も何度となくお世話になり、予備校時代には「大戸屋」と「吉野家」でボクは命をつないだ。
 地下一階に大戸屋はあった。「大戸屋らしい場所じゃないか、地下だなんて(^^)」と入り口を開けると、何と「ここはカフェバーか?」と思うほど店内が綺麗。なんだか中学生の頃好きだった素朴で可愛い女の子と15年ぶりに再会したら、綺麗な女性に成長していたような気分。うれしいようなさびしいような。
複雑な思いをこらえつつ、ランチを注文。コロッケと竜田揚げの組み合わせは昔と変わっていないが、乗っている皿が和風テイストでかっこいいのだぁ〜。これがあの大戸屋か?!
「キミは都会で変わっちまったんだね」と木綿のハンカチーフの歌詞のような想いを抱きながら、箸を進め、コロッケと竜田揚げを一口。「んぅ?」「大戸屋の味だぁ〜(ToT)」
確かにちょっとソフィスティケートされてはいるが、あの定食大戸屋伝統の味であった。うまかった.....。机においてあったアンケートに「15年ぶりの大戸屋、完敗です。」と書いて出てくる。

 世の中、いろいろなものが変わっていくのは仕方がないし、成長していくのも当然だ。しかし、その中でも大事なものは変わらないでいて欲しい気がする。果たして教会はどうであろうか? 20021102,68,1,宗教改革記念日,1,,10/31は宗教改革記念日であった。
キリスト教に興味のない人にとってはあまりよい印象はないだろう。僕自身、入学試験のために「1517宗教改革」と訳もわからず覚えた。

宗教改革はドイツの片田舎ヴェッテンブルクの大学町で聖書学の研究者であった修道士マルティン・ルターによって図らずもはじめられた改革であった。
ルターは非常に勤勉でまた神を恐れていた。そのためにルターはありとあらゆる修行を行ったが、神から赦されたという安心を持つことが出来ないでいた。そんなルターに大学の先輩司祭が聖書の研究を薦める。当時、一般の人は聖書に触れることも出来ず、聖職者の話や教会の壁に書かれた聖画によってわずかにその物語を知るだけであった。

ルターは研究の末「信仰のみ神から正しいとされ、それは行いによらない」という聖書のメッセージを読み取る。しかし当時、聖職者はその行いによりたくさんの徳を貯めていて、それを世俗の民衆に分け与える贖罪符が売られていた。このことに疑問を持ったルターがラテン語で大学教会の壁に張り出したのが「95ヶ条の提題」と呼ばれる学問的議論を求めた質問状であった。それが張り出されたのが1517年10月31日。ルターさんとしては「専門家同士で学問的にこのことを議論しようじゃないですか」という程度だった。

ところがこの提題はルターの思いを超えて、反響を呼び、印刷されてヨーロッパ中に行き渡ることとなり、片田舎の研究修道僧は一躍ローマカトリックに反旗を翻す時代の寵児として扱われる。

詳細は省くが、ルターは結局、カール5世という皇帝に呼び出され、自説を翻すよう国会で要求される。これが有名なヴォルムス国会という奴で、このときルターは「我、ここに立つ。他はなしあたわず。神よ助けたまえ。」と言ったと言われる。
しかし歴史書を紐解くと、この有名な話もそれほどかっこいい話ではない。1日目、ルターが審問を受けたとき、ルターは小さな声で、震えていたという。カール5世は「この男、異端者にはならないな」と思ったほどだ。しかし、次の日の審問のときルターは「私の誤っていることを預言者と福音書とによって証明してくだされば、私は自分の書物を日に投じましょう。」との言葉を述べる。そのあと、言ったと言われるのが「我、ここ(聖書)に立つ」との言葉である。

ルターでさえビビッていた。当たり前だ。殺されることが確実なのだから。2日目だってやっぱりビビッていた。それが当たり前の人間の姿であろう。

ルターと同じ名を付けられたマルティン・ルーサー・キング・Jrもやはり公民権運動に立ち上がるとき、ビビリまくっていた。ビビッて部屋にこもり祈り続けた。

最近、「正義」という言葉が乱発される。しかし本当の正義とはそうした葛藤の中で、神様から委ねられた働きを戸惑いビビリながら、行うのが本当ではないだろうか。
「私は正義です!!」なんてはつらつと大声でいう正義は、どうもボクには胡散臭く写る。 20021027,67,0,創立48周年記念礼拝,0,,本日は潮来教会の創立48周年記念礼拝が行われました。約70名の方々が集い、小野一良名誉牧師(ご本人は「迷与牧師」だと言っておりますが・・・)の「最後の説教」に耳を傾けました。来月満91歳を迎える高齢とは思えない力強いものでした。2004年には、50周年になります。今度こそ、記念誌を出さなければと思っています。このホームページを読んでおられるあなたにも、原稿の依頼が届くかもしれません。そのときには、快くお引き受け下さい。 20021016,66,1,いっぱい、いっぱい。,1,,きょうは弱気の(っていつもそうか(^^;))牧会日誌です。

やたべ・しげみともに何故か忙しく、とくに今週はいっぱいいっぱいです。
しげみ牧師は今週水〜木曜が横浜で神学校授業と会議、土曜は東京の同盟事務所で会議という具合です。やたべは春から体調がずぅ〜ぅ〜っと思わしくない(終わりが見えないのは本当に辛い)。
以前の牧会日誌でもボクの父の例を示して、牧師の仕事の見えない部分のお話を書いたが、見える部分からして忙しいしげみ牧師は当然、見えない部分の負担も今まで以上になっている。二人とも牧会者としての不十分さに心苦しく、また一方で心に余裕が亡くなるまさに「忙」状態である。かといって目の前のことを投げ出す訳にもいかない。


15年前の早春の朝ボクの父が倒れたとき、その場に居合わせボクとすぐ上の兄は救急車の中で父の死を覚悟した。幸いお医者さんや看護婦さんのおかげで父はいのちを取り留めたが、予断は許されない状態だったし、牧師生命(右半身の不自由と言語障害)に関わる障害を負った。

数ヶ月に渡って入院をしたが、その頃よく「矢田部先生(お父さん)は大丈夫?」と聴かれ「ええ、障害はあるけれど大丈夫です(^^)」と応えていた。そんな事が繰り返されていたある日、一緒に救急車に乗った兄が「入院を訊かれてホントのことを言う人なんていないよな。大丈夫じゃなくたってみんな『大丈夫』って言ってたんだな。」と呟いた。


入院というのは特殊な状態ではあるが、私たちは日常的によく言えば相手を心配させまいとする。しかし自分ひとりで抱え込むのは本当は辛いし、また心を許し話しが出来る他者がいる方が健康的だ。重荷を他者に代わってもらうことは出来ないが、一方で人間はひとりでは生きられない。たとえそれを一人でこなせたとして、それは健康的ではない。何故なら人を信頼出来ていない、信頼する友がいないからだ。

依存ではなく、悪い意味ではなく、言い訳でもなく、潮来教会の牧師は弱音を吐ける状態を与えられている。だから牧会日誌でも安心して弱音を吐いている(^^;)。その状態は教会の方々が「神の前で、自分と同じように牧師も弱い人間のひとりだ」ということを理解してくださっていることに支えられている。

「神の前で共に弱音を吐ける」「その上で自分の委ねられた責任を果たし、また支え合う」潮来教会はその様な教会であるし、またその様な教会を目指している。

少なくともクリスマスの時期にダウンした伝道師が未だクビになっていないというのは珍しいだろう(^^;) どうぞ、しげみ牧師とやたべが神様の与えて下さっている身の丈にあった責任を果たせるよう、祈って下さい。

矛盾するようだが、一方で遠慮せずに牧師・あるいは信仰の友に相談をして欲しい。牧師の場合「牧師相談日」という表現になっているが、牧師が何かをする訳ではない。神様に弱音を吐き、共に神様の御心を聴くための時間だ。共に祈ること、御心を聴くことは私たち牧師にとっても励ましだし、力づけて下さるのは神様に他ならない。

礼拝にしろ相談にしろ「神様を見上げて共に祈ること」こそ、心を取り戻すために神様が与えて下さった大切な時間だ。


「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」[口語訳Tコリント10:13]

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。」[新共同訳 出エジプト14:13 〜10/16分日々の聖句(Losungen)より] 20020930,65,1,話し手と聞き手。,1,, 今月は何かと忙しく、ボク自身も5回の日曜のうち、3回を別の教会で礼拝を守った。
1日→潮来/慈美牧師、8日→那覇バプテスト教会/東風平 巌師 15日→潮来/矢田部 22日→水戸恵泉キリスト教会(水戸伝道所)/矢田部 29日→柏バプテスト教会/矢田部、って具合。

 休暇中の沖縄旅行はまた別に書いた方が良いと思うのだが、しかし「それぞれの教会でまたそれぞれの味があるのだなぁ〜と」と感じた月であった。

 いちばん興味深かったのは3回異なった教会で奉仕させて頂いたメッセージであった。潮来・水戸はまぁ身内なのだが、それでもやはり話すときの雰囲気が異なり、「関東部会講壇交換」というビジターで行った柏は、もちろん別の雰囲気であった。幸いにもどの教会でも聞き手に恵まれて、何とかかんとか役割を果たすことが出来た。

 「メッセージって『聞き手に恵まれる』とかじゃなく、牧師が話しを聞かせるんでしょう? 」と思う方もおられるかもしれない。そうした問いはたぶん半分は正しいのだろうと思う。勿論、牧師は神様の言葉を取次ぐ者(メッセンジャー)でしかない。メッセージは神様との共同作業で如何に神様の言葉に耳を澄ませるか、という作業である。しかし一方でそれを語るのはやはり矢田部という個性を持った人間だから、その個性に見合った努力と研鑽の責任がある。その意味で確かに「牧師が話しを聞かせる」という面は間違ってはいない。

 しかしやはりメッセージを終えると「神様に守られ、聞き手に恵まれた」との感を多かれ少なかれ持つ。ときには人間的に不十分と思える準備のメッセージが礼拝の時、不思議と神様と聞き手によって力を与えられ、自分でも思ってもいなかった様なメッセージとなることがある。また話し終えて、自分の中では「今日はダメだったなぁ〜」と内心落ち込んでいると、メッセージを聞いた方から社交辞令ではなく「ありがとうございました」との心からの言葉を頂くことに驚く。
 そんな聞き手によって説教者は支えられている。それぞれの教会の雰囲気、また個性は異なるが、そのことには変わりはないと、今月は本当に感じた。

 ある面で語ることより聞くこと、ボクの様な若輩者のことばを聞く方のほうが説教者より大変であり、奇跡的なことなのかもしれない。今日見ていたTVでハマコウという政治家が若手を「この半端者!」と罵倒していた。確かに彼の経験からすれば、若手の議員は「半端者」なのだろう。説教者として半端物のボクの準備した説教を、本気で神様の言葉として受け取ろうとする聞き手がいる。これは本当に不思議なことだ。

 ボクは説教の準備のとき、必死に神様の言葉を聞き取ろうとする。しかし考えてみると、普段聞き手に回っているのは多聞ボクではなく神様の方だ。ボクの心の深みを静かに優しく聞こうとしている。誰しも話しをするとき感じることだが、自分が話し、相手の話にちゃちゃを入れることは簡単だ。しかし相手の話を最初から最後まで心を込めて聞くことは本当に大変な作業である。
 神様は普段ボクに対してその作業を真摯に愛をもってして下さっている。だからボクに対して、またメッセージの準備の時、ボクの個性に合わせた、また教会の個性に合わせた言葉を委ねて下さる。

 教会の聞き手の方々も、メッセージの準備こそしないが、日常に置いて、同じ作業を神様としている、神様に聞いていただいているに違いない。だからこそ、それぞれの個性はあっても、若輩者のメッセージを「神様の言葉」として受け取って下さる。メッセンジャーと聞き手の関係を健やかに保っているのは、何よりも神様が私たち一人一人に対して真の聞き手であるからに他ならない。

 とは言っても、他の礼拝を否定する訳ではないが、潮来・水戸の礼拝はビビリながら講壇に立ちつつも本当に安心する場所である。オルガニストのS先生に土曜日讃美歌を伝えると、必ず「説教の為に祈っています」と仰って下さる。またいつも最前列に陣取っているN姉はメッセージで自分の話や例話を話すと「そんなバカな〜(^o^)」と相づちを打って下さる。日本の教会では珍しい双方向(インタラクティヴ)な礼拝である。

よい聞き手ナシに、良い説教はあり得ない。
そしてそれは語る者、聞き手、共に真の聞き手である神様に目を向ける事で成立するこの世の奇跡である。
場数をこなせば良いか悪いかは兎も角、技術は向上する。しかしよい聞き手がいる故に、また真の聞き手がいる故に、未だにボクは説教ごとに緊張をし、また大げさでなく、いのちをすり減らしている。
説教が終るごとに「引退する」と周囲に漏らしているが、しかし聞き手が日曜を焦がれている以上、また真の聞き手が礼拝に共なってくださる故に、未だに引退出来ないでいる(^^;) それもまた苦しいながらも嬉しい経験である。

ボクは決して孤独ではないのだ。それは聞き手の方々にも同じことが起っているのではないか? 不完全な人間fだけ見つめるなら、だれが好んで礼拝に出席すのであろうか。 20020911,64,1,9・11を迎えて,1,,時間とは早いものだ。もうあの日から1年が過ぎ去った。
あのまるで映画のような、しかし実際に起った...ニューヨーク・マンハッタンの事件からすでに1年である。

あのとき現地にいた演出家宮本亜門氏の話しが多くのテレビ、新聞で報道されている。彼の話から判ることは、アメリカ人が自分の住んでいる場所が戦場となったことに如何にショックを受けたか、ビルの崩壊に、また多くの死傷者に、ショックを受け、またその後報道も含めてニューヨーカーはテロのデマに翻弄され狼狽したという。そしてニューヨーカーはあれから一年かけて彼らなりに立ち上がろうとしている。

先日の新聞記事に、長くメルボルンで指揮者をした岩城宏之氏が第二次世界大戦中の思い出を語っていた。「大人は信じない」と。岩城氏は東京で育ち、東京空襲により石川県金沢に疎開する。子供心に「もう日本は負ける」と確信していたそうだ。しかし金沢の学校の先生や大人たちは、未だ「日本は神国で必ず戦争に勝つ」と信じて、それを子どもたちに教育していた。岩城少年は「東京があんな酷い状況なのにここの大人たちは何を言っているんだろう?」と思った。そして敗戦を迎え、「日本は神国で戦争に負けない、お国の為に死ね」と指導していた教師によって、教科書に墨を塗ることを命じられ、「天皇は人間で、これからは民主主義」という指導を同じ教師たちから受ける。(三浦綾子氏はそのことに耐えられず、代用教員を辞める。勿論、続けた先生たちの中にも辞めたかったにも関わらず、様々な状況からそれが出来なかった人も多くいただろう。)

いまのアメリカを見ていると、岩城氏が金沢で感じた様な落差が、アメリカ国内にもあるのではないか?と感じる。確かにアメリカ本土がはじめて戦場になった。しかしそれを本当の意味で経験したのはニューヨーカー、しかもマンハッタン近郊の人たちだけだ。
そしていま、アメリカの世論を支えているのは、そのニュー